中国宇宙科学技術集団(CASC)は2024年2月11日、海南省の文昌宇宙発射場から有人月探査向けに開発中の新型ロケット「長征(中国ロケットシリーズ)10号A」の試験機を打ち上げ、飛行中に機体への負荷が最大となる状況下での緊急脱出試験に成功した。国営の新華社通信が伝えた。この成功は、中国が国家目標として掲げる2030年頃の有人月面着陸の実現に向けた重要な一歩となる。

なぜ今、重要か

今回の試験成功は、米国が主導する国際月探査計画「アルテミス計画」との宇宙開発競争が激化する中で、極めて重要な意味を持つ。米国がアポロ計画以来の有人月面着陸を目指す一方、中国も独自の計画を着実に推進しており、今回の成功でその技術的信頼性を世界に示した形だ。特に、ロケット打ち上げで最も危険な局面の一つである最大動圧点(Max Q)での乗員脱出能力を実証したことは、有人飛行の安全性を担保する上で不可欠なマイルストーンである。これにより、中国の有人月探査計画は、構想段階から具体的な実行段階へと大きく前進した。

試験の概要と成功

最大動圧点(Max Q)は、ロケットが大気圏を上昇する際、速度と大気密度の関係から機体にかかる空力負荷が最大になる時点を指す。この段階で万一の事態が発生した場合でも乗員を安全に避難させるため、緊急脱出システムの信頼性確保は有人宇宙飛行において最優先課題とされる。

今回の試験は、ロケット本体に構造的な問題が発生したとの想定のもとで行われた。打ち上げから66秒後、ロケットの制御システムが異常を検知し、次世代有人宇宙船「夢舟」の模型に搭載された緊急脱出システムに分離を指令。これを受け、脱出システムは即座に作動し、宇宙船の模型をロケット本体から安全に引き離すことに成功した。この成功は、複雑な状況下で正確に作動する制御・脱出システムの高い技術的信頼性を実証した。

技術解説

「長征(中国ロケットシリーズ)10号」は、中国が有人月探査のために新規開発している大型液体燃料ロケットだ。その性能諸元は、米国の「スペース・ローンチ・システム(SLS)」に匹敵する規模を目指している。

  • 性能諸元: CASCの公表によると、長征(中国ロケットシリーズ)10号の全長は約92メートル、離陸重量は約2,187トン、離陸推力は約2,678トンに達する。地球低軌道(LEO)に約70トン、そして目標である月遷移軌道(TLI)には27トン以上のペイロード能力を持つ設計だ。これは、米国のSLS(ブロック1)が持つ月遷移軌道へのペイロード能力(27トン)とほぼ同等であり、中国が米国に正面から対抗する意図がうかがえる。
  • 緊急脱出システム: 今回試験された緊急脱出システム(Launch Escape System, LAS)は、打ち上げ失敗時に宇宙船をロケットから高速で引き離すための固体燃料ロケットだ。アポロ計画やロシアのソユーズでも採用されてきた実績ある技術だが、長征(中国ロケットシリーズ)10号では最新のセンサーと制御システムを組み合わせ、より迅速かつ確実な作動を目指している。
  • 比較対象: 米国のSLSは既にアルテミスIミッションで無人飛行を成功させているが、1回あたりの打ち上げコストが20億ドル以上と高額な点が課題となっている。一方、中国は国家主導による集中投資と量産効果でコストを抑制し、持続可能な月探査計画を構築しようとしている。長征(中国ロケットシリーズ)10号の開発・運用コストがSLSに対してどの程度の競争力を持つかが、今後の宇宙開発競争の行方を左右する可能性がある。

日本への影響と示唆

中国の新型ロケット「長征10号A」による緊急脱出試験成功は、日本の宇宙関連産業に複数の直接的影響をもたらす。まず、中国が2030年頃の有人月探査目標を掲げ、今回の試験で「打ち上げから66秒後」という最大負荷条件下での緊急脱出システムの信頼性を実証したことは、日本の宇宙ビジネスにおける競争環境を一層厳しくする。特に、IHIや三菱重工業といったロケットエンジンや機体構造を手掛ける企業にとっては、中国が有人宇宙開発で先行することで、国際的な共同開発案件やサプライチェーンにおける日本のプレゼンスが低下するリスクがある。

次に、中国の宇宙技術の急速な進展は、月面資源開発や宇宙インフラ構築といった将来的な宇宙経済圏における日本の機会を限定する可能性がある。例えば、月面基地建設に必要な資材輸送やエネルギー供給技術において、中国が独自の規格やシステムを確立した場合、日本の関連企業が参入しにくくなる。

一方で、この進展は新たな協力の機会も生む。中国の宇宙開発は、宇宙ゴミ問題や周回軌道の混雑といった共通の課題を増大させる。JAXAや日本の衛星運用企業は、中国との間で宇宙交通管理や宇宙状況把握(SSA)に関する情報共有・協力の必要性が高まる。これは、日本の光学・レーダー観測技術やデータ解析技術の輸出機会に繋がりうる。しかし、現状の地政学的緊張を考慮すると、こうした協力は限定的にならざるを得ないだろう。

出典・参考