中国が新型の再使用型ロケット「長征12号甲」の初打ち上げに成功し、米スペースXが築いた低価格な宇宙輸送市場へ本格参入した。全長70メートル、直径3.8メートルの機体は、上海宇宙技術研究院が開発を主導し、再利用に適したメタンを燃料に採用。将来的にはスペースXの3分の1とされる打ち上げ費用を目指しており、日本のH3ロケットや関連する素材・部品供給網に直接的な競争圧力をもたらす。この動きは単なる技術成果に留まらず、米中間の宇宙覇権競争を加速させ、日本の宇宙産業戦略の再考を迫る地政学的な意味合いを持つ。
なぜ中国はメタン燃料ロケットを急ぐのか
中国が液体メタンを推進剤とするロケット開発を加速する背景には、国家戦略として推進する大規模衛星通信網の構築計画がある。中国は「国網」計画として、1万3000基規模の衛星による独自の低軌道通信網の展開を目標に掲げている。この膨大な数の衛星を迅速かつ低費用で軌道上に配置するには、打ち上げ手段の抜本的な費用削減が不可欠であり、その鍵を握るのが再使用型メタンロケットである。米スペースXが「スターリンク」計画で既に6000基以上の衛星を打ち上げ、市場を先行している状況への強い対抗意識が見て取れる。米国の衛星産業協会(SIA)が2025年6月に発表した報告書によれば、2024年の衛星打ち上げ市場規模は前年比15%増の約400億ドルに達しており、その大半をスペースXが占める。中国はこの市場構造を打破し、自国の衛星網を早期に展開するため、輸送能力の確保を最優先課題と位置付けている。メタン燃料は、従来のロケット燃料であるケロシンと比較して、燃焼時に煤がほとんど発生しない化学的特性を持つ。これにより、再使用時にエンジンの分解洗浄工程を大幅に簡略化でき、整備期間の短縮と費用の低減に直結する。さらに、メタンは液化天然ガス(LNG)の主成分であり、ケロシンよりも安価で調達しやすい。中国は世界有数のLNG輸入国であり、国内での供給網が安定している点も開発を後押ししたと見られる。
「長征12号甲」の技術的立ち位置
「長征12号甲」は、中国の宇宙開発を担う国有巨大企業、中国航天科技集団(CASC)傘下の上海宇宙技術研究院(SAST)が開発を主導した。全長70メートル、直径3.8メートルという寸法は、スペースXの主力機「ファルコン9」に酷似しており、明確な対抗意識がうかがえる。1段目には9基、2段目には1基のメタンエンジンを搭載する構成も同様だ。低軌道(LEO)へのペイロード投入能力は約10トンと推定され、これは衛星通信網を構成する数百キログラム級の小型衛星を一度に数十基打ち上げるのに適した規模である。注目すべきはエンジン技術だ。中国はこれまでケロシンを燃料とする「YF-100」シリーズを主力エンジンとしてきたが、長征12号甲では新開発のメタンエンジンが採用された。このエンジンは、燃焼効率を示す比推力で従来型を上回り、推力調整(スロットリング)の範囲も広いため、着陸時の繊細な機体制御に適している。これは1段目の垂直着陸による再使用を前提とした設計思想の表れである。中国は2019年、民間企業の藍箭航天(ランドスペース)がメタンエンジン「天鵲(TQ-12)」の燃焼試験に成功するなど、官民で技術蓄積を進めてきた。長征12号甲の成功は、これらの基礎研究が国家主導の大型プロジェクトとして結実したことを示している。Euroconsultの2025年版報告書は、中国の商業打ち上げ市場が今後5年で年平均20%以上の成長を遂げると予測しており、長征12号甲はその中核を担う存在となる。
スペースX「ファルコン9」との性能比較
長征12号甲と米スペースXの「ファルコン9」を比較すると、中国の戦略がより鮮明になる。ファルコン9は全長70メートル、直径3.7メートルで、1段目の再使用時における低軌道(LEO)への投入能力は約17.4トンに達する。一方、長征12号甲の能力は約10トンと見られ、現時点ではファルコン9に及ばない。この差は、主にエンジン性能と機体重量の最適化に起因すると考えられる。スペースXの「ラプター」エンジンは、燃焼圧力が極めて高い「フルフロー二段燃焼サイクル」という複雑な方式を採用し、世界最高水準の比推力を実現している。対する中国の新型メタンエンジンは、より単純なガス発生器サイクルか二段燃焼サイクルの初期段階にあると推測され、性能向上にはまだ余地を残す。しかし、中国の最大の強みは国家主導による圧倒的な低費用化の追求にある。中国メディアは、長征12号甲の打ち上げ費用が将来的にはファルコン9の3分の1から半額程度になる可能性を報じている。ファルコン9の公表価格が約6700万ドル(2023年時点)であることから、長征12号甲は2000万ドル台から3000万ドル台の価格帯を目指していると見られる。この価格が実現すれば、衛星打ち上げ市場の価格体系を根底から覆しかねない。BryceTechの2025年1月の調査では、2024年に軌道へ投入された全質量のうち80%以上をスペースXが占めた。中国はこの一強体制に風穴を開け、アジアや「一帯一路」沿線国を中心に顧客を獲得し、宇宙輸送における米ドル決済網からの脱却を図る狙いもある。
衛星網構築を支える「輸送能力」の国家間競争
現代の宇宙開発競争は、探査や科学研究といった従来の側面に加え、衛星通信網という実利的なインフラ整備の競争へと軸足を移している。この競争の勝敗を決するのは、どれだけ多くの衛星を、どれだけ速く、どれだけ安く打ち上げられるかという「輸送能力」に集約される。長征12号甲の登場は、この輸送能力競争において、米国に次ぐ第二極が明確に出現したことを意味する。米国はスペースXに加え、ブルーオリジンが再使用型の大型ロケット「ニューグレン」の開発を進めている。一方、欧州は「アリアン6」、日本は「H3」という使い切り型の新型ロケットで市場競争力の維持を図るが、再使用型が実現する圧倒的な低費用を前に苦戦は免れない。内閣府宇宙政策委員会が2025年10月に公表した資料によると、日本のH3ロケットの打ち上げ費用は1機あたり約50億円を目指しているが、これは現在の為替レートで約3300万ドルに相当する。長征12号甲が目標価格を達成すれば、H3は商業市場で厳しい価格競争にさらされることになる。さらに、安全保障上の意味合いも大きい。大規模衛星通信網は、平時における通信インフラであると同時に、有事には軍事通信や偵察、目標捕捉を支える重要な軍事アセットとなる。中国が独自の衛星網とそれを支える低費用な輸送手段を確保することは、宇宙空間における米国の優位性を脅かし、日米同盟の抑止力にも影響を及ぼす可能性がある。宇宙空間の状況把握(SSA)能力の強化や、同盟国・友好国との連携による宇宙利用のルール形成が、日本にとって喫緊の課題となっている。
日本企業が直面する選択
中国の再使用型ロケットの台頭は、日本の宇宙産業、特に素材・部品メーカーに複雑な選択を迫る。一方では、中国のロケットや衛星の生産拡大は、日本の優れた基幹部品にとって新たな市場機会となりうる。例えば、ロケットエンジンや衛星構体に用いられる炭素繊維複合材料、極低温環境に耐える特殊合金、高精細なセンサーや半導体部品といった分野では、三菱重工業やIHI、東レ、京セラなどが世界的な競争力を持つ。これらの企業にとって、拡大する中国市場は無視できない存在だ。しかし、他方では深刻なリスクも存在する。米国の対中輸出規制は半導体製造装置だけでなく、宇宙関連の汎用技術にも拡大する傾向にある。日本の部品を組み込んだ製品が中国の軍事転用可能な宇宙計画に使用された場合、米国の輸出管理規則(EAR)に基づき、日本企業が制裁対象となる恐れがある。経済安全保障推進法の下、日本政府も重要技術の流出防止を強化しており、企業は米中の規制を両にらみした慎重な取引管理を求められる。さらに、中国への部品供給は、結果的に日本のH3ロケットの競争相手を利する「塩を送る」行為にもなりかねない。このジレンマに対し、日本企業は短期的な収益機会と、長期的な技術優位性の維持および地政学リスクとの間で難しい舵取りを迫られている。政府は、H3ロケットの競争力強化に向けた追加支援や、次世代の再使用型ロケット開発への国家投資を加速させると同時に、企業が直面するリスクを軽減するための明確な指針を示す必要がある。日本の宇宙産業が、この構造変化を乗り越え、国際市場で独自の地位を築けるか、今まさに岐路に立たされている。