2026年に開始される中国の「第15次五カ年計画」(2026-2030年)の策定に向け、従来のインフラ・不動産投資を主体とした成長モデルから、「人的資本」への投資を中核に拠えるべきだとの議論が、中国国内の政策専門家から提起されている。北京大学国家発展研究院の姚洋教授らは、不動産市場の長期低迷や地方政府の債務問題で既存モデルが限界を迎える中、持続的な経済成長と格差是正を両立させる鍵として、教育や人材育成への重点的な資源配分を提言。これは、米中対立下での技術的自立を目指す国家戦略とも密接に関連しており、中国の経済・社会構造の大きな転換点となる可能性がある。
事実の整理
第15次五カ年計画の策定作業が進む中、北京大学国家発展研究院の姚洋教授をはじめとする複数のエコノミストや政策顧問が、次期計画の最優先課題として「人的資本への投資」を公に提言している。この動きは、中国が社会主義現代化を達成する上で重要な節目と位置づけられる同計画の方向性を示唆するものだ。
主にな関係者は、提言を行う学術界、計画を策定する中国共産党中央委員会および国務院、そして政策転換の実行主体となる中央・地方政府である。この提言の背景には、2021年から本格的に推進されている格差是正スローガン「共同富裕(格差是正政策)」の実現という政治目標が存在する。
計画策定は、現行の第14次五カ年計画(2021-2025年)の総括を経て、2025年後半に草案が党の重要会議で審議され、2026年3月の全国人民代表大会(全人代)で正式に採択されるのが通例だ。現在、専門家や各部門から意見を聴取する初期段階にあるとみられる。
表層的原因と直接的仕組み
専門家らが人的資本への転換を強く促す直接的な原因は、投資主導型成長モデルの行き詰まりだ。特に、中国経済の約4分の1を占めていた不動産セクターの不振は、関連産業や地方政府の財政に深刻な打撃を与えている。土地使用権の売却収入に依存してきた地方政府は巨額の債務を抱え、新たな大規模インフラ投資を牽引する余力を失った。
姚洋教授は、この状況下で格差是正を目指す「共同富裕(格差是正政策)」政策を達成するための「唯一の正しい道」が人的資本への投資であると主張する。同教授の論理では、教育や職業訓練を通じて個人の生産性を高めることが、経済全体の効率性と社会的な公平性を同時にに向上させる最善策となる。中国メディアの報道によると、この種の議論は、経済の新たな成長エンジンを模索する政策当局内で注目を集めている。
この提言は、経済の供給サイド、すなわち労働力の質を向上させることで需要を創出し、経済を安定軌道に乗せるという考え方に基づいている。これは、大規模な財政出動による需要喚起策とは一線を画すアプローチだ。
深層的原因と構造的背景
人的資本への注目は、より根深い構造的課題への対応という側面を持つ。第一に、生産年齢人口の減少と急速な高齢化という人口動態の変化だ。国家統計局によると、中国の総人口は2022年、2023年と2年連続で減少した。労働力の「量」に頼った成長が不可能になる中、「質」の向上が国家的な至上命令となっている。
第二に、米国との技術覇権競争の激化である。米国による半導体製造装置や先端AIチップの輸出規制は、中国が基幹技術を海外に依存する脆弱性を露呈させた。これに対抗し「科学技術の自立自強」を実現するには、基礎研究から応用開発までを担う国内の高度人材プールを抜本的に拡充する必要がある。中国のR&D支出はGDP比で2.64%(2023年)に達するが、その質と効率が問われている。
第三に、国内の所得・地域間格差の拡大という社会的な緊張だ。改革開放以来の経済成長は深刻な格差を生み、社会の不安定化要因となりかねない。公式発表では抑制的に見えるジニ係数も、実態はより深刻との指摘がある。教育機会の均等化などを通じて格差を是正し、内需主導の「双循環」経済を確立することは、中国共産党の長期的な統治基盤を維持する上でも不可欠な課題となっている。
構造分析と政策・産業のメタパターン
今回の政策転換の議論には、過去の中国共産党の政策決定に見られるいくつかのパターンが読み取れる。
第一に、経済危機をテコにした大規模な構造改革のパターンだ。2008年の世界金融危機後には4兆元(当時のレートで約57兆円)規模の景気対策で投資依存を深めた一方、2015年の株価暴落と資本流出の危機後は「供給側構造改革」を断行した。今回の不動産不況という深刻な危機を、投資依存モデルから脱却し、新たな国家戦略へ移行する好機と捉えている可能性が推察される。
第二に、5カ年計画を通じた漸進的な目標設定のパターンである。第13次計画(2016-2020)で「イノベーション駆動型発展」を掲げ、第14次計画(2021-2025)で「科学技術の自立自強」を強調してきた。第15次計画で「人的資本」を中核に拠えるのは、これまでの政策目標を達成するための具体的な手段として、必然的な帰結と分析できる。
第三に、社会統制と一体化した政策推進の可能性だ。推測ではあるが、教育への投資強化は、愛国主義や党への忠誠を教え込むイデオロギー教育の強化と並行して進められる公算が大きい。2021年に実施された学習塾業界への強力な規制は、公教育の役割を回復させると同時にに、党の思想的統制を教育現場に浸透させる狙いがあった。人的資本投資もまた、党が望む分野や価値観に沿った人材を育成する手段として機能する側面を持つだろう。
日本の関連性
中国の「第15次五カ年計画」における人的資本重視への転換は、日本企業に新たな事業機会と競争環境の変化をもたらす。まず、教育や人材育成への重点的な資源配分は、日本の教育コンテンツ、オンライン学習プラットフォーム、職業訓練サービスを提供する企業にとって直接的な輸出機会を創出する。例えば、ベネッセホールディングスのような教育サービス大手は、中国の教育機関や企業と提携し、中国市場特有のニーズに合わせた教材や研修プログラムを提供できる可能性がある。
次に、中国が従来のインフラ投資偏重から脱却し、イノベーションと生産性向上を重視する姿勢は、日本の先端技術や高付加価値製品を持つ企業に有利に働く。特に、AI、ロボティクス、バイオテクノロジーといった分野での共同研究開発や技術移転の需要が高まるだろう。これは、例えばファナックのような産業用ロボットメーカーや、富士フイルムのような医療・ヘルスケア分野の企業にとって、中国の新たな成長エンジンに直接貢献する機会となる。
一方で、中国国内の人的資本強化は、将来的には日本企業が直面する競争圧力を高める。中国企業がより高度な技術力やイノベーション能力を内製化することで、日本企業の優位性が相対的に低下するリスクがある。特に、北京大学国家発展研究院の姚洋教授が指摘するように、教育やスキル向上への投資が「経済効率と社会の公平性を両立」させるならば、中国はより強固な内需基盤と競争力を持つ経済へと変貌するだろう。日本企業は、この変化を先読みし、自社の競争優位性を再構築する戦略が求められる。
情報信頼性評価
本稿で分析した内容は、主に北京大学の姚洋教授ら一部の専門家による提言に基づいている。これは政策決定プロセスにおける有力な意見の一つではあるが、第15次五カ年計画の最終案にそのまま反映されることを保証するものではない。中国の政策決定プロセスは非公開の部分が多く、最終的な決定は党指導部内の力学に大きく左右される。
現時点で不明瞭なのは、人的資本投資の具体的な予算規模、財源の配分(中央政府と地方政府の負担割合)、そして投資の優先分野(基礎教育、高等教育、職業訓練など)である。これらの詳細は、2025年後半に公表される計画草案や、それに先立つ党中央経済業務会議の声明で明らかになると見られる。
したがって、今後の情報としては、国家発展改革委員会(NDRC)の公式発表や、新華社通信、人民日報といった官製メディアの論調の変化を継続的に監視することが、政策の方向性を見極める上で重要となる。
Core Insight (核心まとめ)
第15次五カ年計画での「人的資本」重視への転換は、不動産危機が露呈させた投資主導モデルの破綻に対応する受動的措置であると同時にに、米中技術覇権競争を勝ち抜くための国家安全保障戦略の一環という能動的側面を併せ持つ構造転換である。