中国政府による台湾情勢を巡る対日批判は、先端半導体の9割超を台湾に依存する日本の産業構造に、供給網寸断という現実的な脅威を突きつけている。2023年の日本の半導体等電子部品の輸入額のうち台湾からは約1.5兆円(財務省貿易統計)に達し、特に台湾積体電路製造(TSMC)が製造する5ナノメートル(nm、ナノは10億分の1)以下の先端品は代替が利かない。この地政学的な緊張は、製造装置や素材で世界的な競争力を持つ東京エレクトロンや信越化学工業など日本企業群の戦略にも影響を及ぼし始めており、経営層は事業継続計画の抜本的な見直しを迫られている。
「一つの中国」原則と半導体供給網
中国外務省が日本の台湾を巡る姿勢を批判し、「一つの中国」原則の順守を求める発言は、単なる外交上の応酬にとどまらない。台湾海峡の緊張が、世界の先端技術供給網の中核を成す半導体産業に直接的な影響を及ぼすことを明確に示唆しているからだ。中国が主張する「中国人民抗日戦争勝利80周年」を前に歴史問題と絡めて圧力を強める背景には、日米が連携して進める経済安全保障政策、特に半導体分野での対中規制への強い警戒感が見て取れる。米商務省産業安全保障局(BIS)が2022年10月に発表した包括的な輸出規制は、事実上、中国の先端半導体開発能力を封じ込めるものであり、日本も2023年7月、先端半導体製造装置23品目を輸出管理の対象に加える形で同調した。中国側から見れば、日本は米国の戦略に加担し、自国の技術発展を阻害する存在と映る。こうした認識が、台湾問題における対日強硬姿勢の根底にある。台湾有事が発生した場合、半導体供給網が機能不全に陥るリスクは、もはや理論上の懸念ではない。世界の半導体受託生産(ファウンドリー)市場において台湾は68%のシェアを握り(TrendForce、2024年第1四半期)、特に回路線幅7nm以下の先端プロセスではその割合が9割を超える。この供給網の要衝が地政学的な係争の最前線に位置すること自体が、日本を含む世界経済の最大のリスク要因となっている。
日本の先端半導体、台湾依存92%の構造とは
なぜ日本の産業は台湾の半導体なしでは成り立たないのか。その答えは、近年の半導体産業における水平分業モデルの定着にある。自社で工場を持たないファブレス企業が設計に専念し、TSMCのようなファウンドリーが製造を請け負う。日本のソニーグループや、NTTと共同で次世代半導体を手掛けるラピダスもこの構造に依存する。経済産業省の2021年の調査によれば、日本企業が必要とするロジック半導体のうち、10nm世代以降の先端品については実に92%を台湾からの輸入に頼る。国内で最先端の量産拠点は存在せず、代替調達先は事実上ない。この構造は、台湾有事の際に日本の自動車、情報通信、産業機械といった基幹産業が一斉に生産停止に陥る可能性を意味する。例えば、最新のスマートフォンやデータセンターで使われる5nmや3nmプロセスの半導体は、TSMCと韓国サムスン電子の2社しか量産できない。そのうちTSMCが7割以上の生産能力を台湾域内に集中させている(TSMC、2023年年次報告書)。仮に海上輸送路が封鎖されれば、日本企業は製品の心臓部を失う。この脆弱性を一部でも解消するため、日本政府は4年間で約4兆円の予算を投じ、TSMCの熊本工場誘致やラピダスの2nmプロセス開発支援を進めるが、国内需要の全てを賄うには程遠いのが実情だ。
日本が握る「上流」という名の抑止力
一方で、日本は半導体供給網の「川上」、すなわち製造装置と素材の領域で代替不可能な地位を占めており、これが地政学的な交渉における隠れた抑止力となり得る。半導体製造は数百の工程から成るが、日本企業はその多くで不可欠な役割を担う。例えば、回路パターンをウエハーに焼き付けるリソグラフィー工程で使われる感光材「フォトレジスト」では、JSR、信越化学工業、東京応化工業、富士フイルムの日本4社で最先端のEUV(極端紫外線)向け製品の世界シェア約9割を握る。また、ウエハー表面を平坦化するCMP(化学機械研磨)工程のスラリー(研磨剤)や、回路を形成した後の洗浄に用いる高純度のフッ化水素でも日本企業の存在感は大きい。製造装置に目を向ければ、ウエハーに回路を形成する前段階の塗布・現像装置(コータ・デベロッパ)では東京エレクトロンが世界シェアの約9割を占める。ウエハーを薄く削るグラインダーや切断するダイサーではディスコが、洗浄装置ではSCREENホールディングスが高いシェアを持つ。これらの装置や素材がなければ、TSMCやサムスン電子といえども先端半導体の生産は不可能だ。半導体製造装置の世界販売額約1076億ドル(SEMI、2022年統計)のうち、日本企業は約3割を占め、米国に次ぐ第2位の地位にある。この川上での支配力は、台湾有事のような極端な状況下で、日本が他国との交渉において有利な立場を確保するための重要な資産となる可能性がある。
2nm以降の主導権争いとラピダスの役割
地政学的緊張が高まる中、半導体技術の競争軸は2nm、さらには1.4nmといった次世代プロセスへと移行しつつある。この領域での主導権争いが、将来の産業覇権を決定づける。TSMCは2025年に2nm、2027年には1.4nmプロセスの量産開始を計画。サムスン電子も追随する構えだ。こうした中、日本が国策として推進するラピダスは、2027年に2nmプロセスの量産開始を目指す。この計画は、単なる国内生産拠点の確保にとどまらない。ラピダスが採用を目指すGAA(Gate-All-Around)構造のトランジスタは、従来のFinFET構造に比べ、同一消費電力で15%の性能向上、または同一性能で30%の消費電力削減が可能とされる(IBM発表)。この次世代技術を国内で確立することは、米IBMやベルギーimecとの国際連携を通じて、日本の技術開発能力を再び世界の最前線に引き上げる狙いがある。成功すれば、データセンターの消費電力削減やAI処理能力の飛躍的向上に貢献し、日本の産業競争力を根本から底上げする可能性がある。ただし、課題は多い。ラピダスの試作ライン稼働は2025年、量産開始は2027年と、TSMCに比べて2年の遅れを取る。この時間差を埋め、顧客を獲得できるかどうかが成否の鍵を握る。総額5兆円ともされる投資額を回収するには、高性能コンピューティング(HPC)やAIアクセラレーターといった高付加価値分野で、確実な需要を確保する事業戦略が不可欠となる。
日本企業が直面する供給網の再構築
台湾海峡を巡る不確実性は、日本企業に対して供給網の抜本的な見直しを迫っている。これまで効率性を最優先に構築されてきた「ジャストインタイム」の供給体制は、地政学的な分断の前では極めて脆弱だ。経営層は、経済合理性だけでなく、安全保障の観点から事業継続計画(BCP)を再評価する必要がある。具体的な対策としては、①重要部材の在庫積み増し、②調達先の複線化、③生産拠点の分散が挙げられる。特に半導体のように代替が利かない部品については、台湾以外の地域、例えば日米や欧州での生産委託を検討する必要がある。TSMCが熊本に続き、米アリゾナ州や独ドレスデンに工場を建設しているのは、こうした顧客からの要請に応える動きだ。しかし、生産拠点の分散はコスト増に直結する。台湾の工場に比べて、アリゾナ工場の建設・運営コストは少なくとも30%以上高いとの試算もある。このコストを製品価格に転嫁できるか、あるいは利益を削って吸収するのか、企業は難しい判断を迫られる。一方で、この危機は新たな事業機会も生み出す。ラピダスが目指す次世代半導体の国内生産は、それに付随する装置・素材メーカーにとっても大きな商機となる。また、供給網の国内回帰や強靭化を支援する政府の補助金制度を活用し、新たな成長戦略を描くことも可能だ。中国の圧力という外部環境の変化を、自社の事業構造を変革する好機と捉えられるかどうかが、今後の企業の盛衰を分かつ分岐点となるだろう。