台湾を巡る有事は、もはや単なる地政学上の懸案ではない。米ブルームバーグ・エコノミクスの試算によれば、台湾封鎖による経済損失は世界全体で約5兆ドルに達し、これはリーマン危機やコロナ禍を超える規模だ。特に世界の先端半導体の9割超を生産する台湾積体電路製造(TSMC)の供給が途絶すれば、現代社会を支えるデジタル基盤そのものが崩壊しかねない。中国人民解放軍が台湾周辺での軍事演習を常態化させるなか、その「Xデー」は観念的なリスクから、事業継続計画(BCP)で向き合うべき現実的な経営課題へと変質した。本稿では、半導体供給網の脆弱な実態と、日本企業が直面する出口なき隘路をデータに基づき解剖する。

「正義使命」演習が示す新たな段階

中国人民解放軍東部戦区が台湾周辺で実施する「正義使命」と称する軍事演習は、その規模と内容において新たな段階に入った。台湾国防部が2024年10月に公表した統計によれば、2024年1月から9月までに台湾の防空識別圏(ADIZ)に進入した中国軍機は延べ1980機に上り、前年同期比で約25%増加した。これは単なる威嚇飛行の増加を意味しない。演習内容は、従来のミサイル発射や上陸訓練に加え、台湾全島を包囲する兵站遮断と海上封鎖を想定したシナリオへと高度化している。米国防総省が2023年10月に発表した「中国の軍事力に関する年次報告書」は、人民解放軍が2027年までに台湾侵攻の選択肢を確保する能力構築を目指していると分析しており、演習の常態化はその計画の一部と見られる。特に注目すべきは、電子戦やサイバー攻撃を組み合わせた統合的な作戦能力の誇示である。これは、有事の際に米軍の介入を遅延させ、短期間で既成事実を作ることを狙ったものだ。演習の呼称が「利剣(鋭い剣)」から「正義使命」へと変更された背景には、軍事行動を内政問題として正当化し、国際社会の批判をかわす意図も透ける。この軍事圧力の質的変化は、台湾海峡の安定がもはや自明のものではないことを示している。

なぜ台湾の半導体は代替不可能なのか?

台湾の半導体製造能力、とりわけTSMCの存在が代替不可能とされる理由は、市場占有率という量的な側面と、技術・生態系という質的な側面が複合的に絡み合うためだ。市場調査会社トレンドフォースの2024年第3四半期時点の調査では、世界の半導体受託製造(ファウンドリ)市場における台湾勢の合計シェアは67%に達し、その大半をTSMCが占める。特に回路線幅5ナノメートル(ナノは10億分の1)以下の最先端ロジック半導体に限れば、そのシェアは92%に達する(台湾工業技術研究院調べ)。米アップルのスマートフォン「iPhone」の心臓部である「A18 Pro」や、米エヌビディアの人工知能(AI)用半導体「H200」など、現代のデジタル経済を駆動する製品はすべてTSMCの台湾工場で生産されている。この独占的な地位は、オランダASML製の極端紫外線(EUV)露光装置を世界で最も効率的に稼働させる運用技術に支えられる。EUVとは波長13.5ナノの極めて短い光を使い、原子数十個分に相当する微細な回路をシリコンウエハーに焼き付ける技術だ。TSMCはASMLのEUV装置の最大の顧客であり、その累積稼働データと最適化のノウハウは他社の追随を許さない。さらに、新竹や台南のサイエンスパークには、TSMCを頂点に数千社の素材・装置・設計支援企業が集積し、緊密な生態系を形成している。米国や日本で進む新工場建設も、この高度な集積と無数の熟練技術者を完全に再現することは、少なくとも今後5〜10年では不可能と見られている。

5兆ドルの経済損失、その衝撃の内訳

台湾有事が勃発した場合の経済的被害は、直接的な軍事衝突の範囲をはるかに超えて全世界に及ぶ。ブルームバーグ・エコノミクスが2024年5月に公表したシミュレーションによれば、台湾が侵攻され米中が参戦する最悪のシナリオでは、世界の国内総生産(GDP)の約10.2%、金額にして10兆ドル以上が失われる。台湾封鎖だけでも世界のGDPを約5%、5兆ドル押し下げるという。この甚大な被害の根源は、やはり半導体供給網の寸断にある。具体的には、世界の電子機器の最終組立地である中国への半導体供給が止まり、スマートフォンやパソコンの生産はほぼ完全に停止する。日本の経済産業省が2023年にまとめた内部試算では、台湾からの半導体輸入が3カ月停止しただけで、国内の自動車産業は約4.7兆円、電子機器産業は約2.9兆円の生産減に見舞われる。これは単なる製品供給の遅延ではない。例えば、現代の自動車は1台あたり1,000〜1,500個の半導体を使用しており、そのうちの一つでも欠ければ完成車として出荷できない。また、グーグルやアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)が運営するデータセンターも、サーバーの更新や増設が不可能となり、数カ月で機能不全に陥る危険性がある。これはインターネットサービスや企業の基幹業務システム、金融取引など、社会インフラの麻痺に直結する。サプライチェーンの寸断は、最終製品メーカーから素材産業、そして金融市場へと瞬く間に連鎖し、世界的な経済恐慌を引き起こす引き金となりうるのだ。

日本の「生命線」、素材・装置産業の隘路

台湾有事は、日本の基幹産業である半導体素材・装置メーカーにとって、最大の顧客を失うことを意味する。日本企業は世界の半導体供給網において、川上の重要な結節点を握っている。例えば、回路パターンをウエハーに転写する際に不可欠な感光材「フォトレジスト」では、JSR、信越化学工業、東京応化工業の日本勢3社で世界市場の約7割、最先端のEUV用では9割超の占有率を誇る。また、半導体の基板となるシリコンウエハーでは信越化学工業とSUMCOの2社で世界シェアの約6割を占める。製造装置においても、ウエハーに回路を形成する塗布・現像装置(コータ・デベロッパ)で東京エレクトロンが約9割、ウエハーを薄く精密に削るダイシングソーでディスコが約7割と、特定工程で代替困難な地位を築いている。これら日本企業の最大の輸出先こそが、TSMCをはじめとする台湾の半導体メーカーだ。東京エレクトロンの2024年3月期決算によれば、地域別売上高で台湾が占める比率は23.9%と、中国に次ぐ第2位の市場である。同様に、アドバンテストやSCREENホールディングスも、売上高の2割前後を台湾向けが占める。もし台湾への輸出が停止すれば、これらの企業の売上高は年間で数千億円単位で消失し、日本の株式市場にも深刻な打撃を与える。供給網の上流を握るという日本の強みは、裏を返せば下流の巨大集積地である台湾への深刻な依存構造と表裏一体であり、有事の際にはその脆弱性が一気に露呈することになる。

日本企業が直面する選択

台湾海峡を巡る地政学的緊張は、もはや外交や安全保障の専門家だけの議題ではない。それは、すべての企業経営者が自社の存続をかけて向き合うべき経営課題である。半導体供給網における「脱台湾」は、掛け声ほど容易ではない。TSMCが進める米国アリゾナ州や熊本県の工場建設は、象徴的な意味は大きいものの、台湾本国の生産能力の5%にも満たない規模だ。コスト、効率、技術者の集積度で台湾に匹敵する拠点を即座に構築するのは非現実的である。したがって、企業がまず着手すべきは、台湾有事を具体的な事業リスクとして想定した事業継続計画(BCP)の抜本的な見直しだ。重要半導体の戦略的在庫を従来の数週間分から数カ月分へと引き上げること、特定の台湾メーカーに依存しない代替調達先の確保、さらには半導体の仕様変更を迅速に行うための製品設計の見直しなどが急務となる。これらはすべて、企業の収益性を圧迫するコスト増要因であり、平時における競争力との両立という難しい経営判断を迫る。長期的には、次世代半導体の国産化を目指すRapidus(ラピダス)のような国家プロジェクトを成功させ、国内に確固たる製造基盤を再構築することが不可欠だ。しかし、そのためには巨額の継続投資に加え、高度な技術人材の育成、そして国内での需要を創出する生態系の構築という、数十年単位の戦略が求められる。台湾という巨大な歯車が止まった世界を想像し、どこまで備え、どこまでの痛みを許容するのか。その選択は、日本経済の未来そのものを左右する問いかけである。