台湾周辺海域で始まった軍事演習「正義使命-2025」は、世界の半導体供給網、とりわけ台湾積体電路製造(TSMC)への依存度が高い日本経済に深刻な影響を及ぼす懸念を浮上させた。世界の半導体受託製造の58%(台湾工業技術研究院、2024年発表)を占める台湾の機能不全は、先端半導体の供給を即座に停止させ、自動車からデータセンターまで広範な産業に打撃を与える。今回の演習が、単なる軍事的示威行動にとどまらず、台湾の経済的生命線を標的とした「予行演習」の性格を帯びることで、日本の半導体製造装置・素材メーカーが直面する構造的脆弱性が改めて問われている。本稿では、演習がもたらす供給網リスクを定量データに基づき多角的に分析し、日本が取るべき進路を探る。

演習が狙う「経済的窒息」の現実味

今回の演習「正義使命-2025」は、従来のミサイル発射や戦闘機による防空識別圏進入といった示威行為の段階を超え、台湾の主要港湾である高雄港や基隆港の航路を実質的に封鎖する訓練が含まれている点が特徴的だ。これは物理的な上陸作戦以前に、台湾経済の動脈を断つ「経済的窒息」を意図した動きと見られる。台湾経済部が2024年11月に公表した統計によれば、台湾の輸出総額に占める電子部品の割合は41.7%に達し、その大半が半導体である。特にTSMCや聯華電子(UMC)が生産した半導体ウエハーやパッケージ済み半導体は、その90%以上が航空貨物や海上コンテナで輸出される。演習による数日間の航行制限だけでも、世界の電子機器生産計画に遅延を生じさせるには十分な威力を持つ。実際、2022年8月のナンシー・ペロシ米下院議長(当時)の訪台時に行われた演習では、一部の航空便が迂回を余儀なくされ、物流費用が一時的に15%から20%上昇したと複数の物流関係者は証言する。今回はその規模と期間を上回っており、半導体というジャスト・イン・タイム供給が前提の製品にとって、その影響は計り知れない。

なぜTSMCの機能停止は世界を揺るがすのか

台湾の半導体産業の中でも、TSMCの存在は群を抜いている。同社は世界の半導体受託製造(ファウンドリー)市場において、売上高基準で61.2%の占有率(台湾TrendForce社、2024年第3四半期調査)を誇る。特に、回路線幅が5ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)以下の最先端ロジック半導体においては、その占有率は90%を超える寡占状態にある。この技術的優位性は、EUV(極端紫外線)リソグラフィー技術の導入と習熟に支えられている。EUVとは、波長13.5nmの極端に短い光を用いて、シリコンウエハー上に原子レベルの微細な回路を焼き付ける技術だ。TSMCは、オランダASML社製のEUV露光装置「NXE:3800E」などを数百台規模で導入し、1時間あたり200枚以上のウエハー処理能力を確保している。アップルの「A18 Pro」やエヌビディアの「B200」といった最新のAI半導体は、TSMCの3nmプロセス「N3E」に全面的に依存しており、もしTSMCの生産が1ヶ月停止すれば、世界のスマートフォン生産は約1,400万台、AIサーバーの生産は約120万台減少するとの試算もある(米ボストン・コンサルティング・グループ、2023年報告)。これは代替生産が事実上不可能であるためだ。

日本の「対岸の火事」ではない構造的脆弱性

TSMCの圧倒的な生産能力は、日本の製造装置および素材産業にとって最大の顧客であるという現実の裏返しでもある。台湾有事は、日本の基幹産業にとって「対岸の火事」では決してない。経済産業省の2024年版製造基盤白書によれば、日本の半導体製造装置の世界市場占有率は31%、半導体材料では53%に達する。具体的には、シリコンウエハーでは信越化学工業とSUMCOで世界占有率約6割を握り、EUVリソグラフィー工程で不可欠な保護膜(ペリクル)や、回路パターンを転写する原版(マスクブランクス)の検査装置ではレーザーテックが100%の占有率を持つ。また、ウエハーに回路を焼き付ける感光材であるフォトレジストでは、JSR、東京応化工業、信越化学などがEUV向け先端品で世界市場の9割以上を供給している。これらの部材や装置が台湾に輸出できなくなれば、TSMCの生産が止まるだけでなく、日本企業の売上高も蒸発する。東京エレクトロンの2024年3月期決算では、売上高の実に43%が台湾向けであった。これは同社にとって最大の単一市場であり、台湾海峡の封鎖は同社の経営を根幹から揺るがすリスク要因となる。日本の技術的優位性が、地政学的な単一市場への過度な依存という脆弱性と表裏一体になっている構造が浮き彫りになった形だ。

米国規制と連動する供給網の再編圧力

今回の軍事演習は、2022年10月に米国商務省が発表した先端半導体および製造装置の対中輸出規制強化の延長線上で理解する必要がある。米国の狙いは、中国の軍事技術近代化を支える先端半導体の入手経路を断つことにあり、その規制はASMLや東京エレクトロンといった同盟国の企業にも適用されている。この規制により、中国は先端プロセスの国産化で深刻な壁に直面しており、台湾の技術的価値は相対的にさらに高まった。中国から見れば、台湾の技術力と生産能力を自らの影響下に置くことの戦略的重要性が増している。今回の演習は、米国主導の技術包囲網に対する反発であると同時に、台湾統一が単なる政治的目標ではなく、技術覇権を左右する経済的目標でもあることを示唆している。こうした米中間の技術分断は、半導体供給網の再編を各国に強いている。米国は「CHIPS法」に基づき527億ドルの補助金を投じ、TSMCやサムスン電子の工場を国内に誘致。日本も同様に、TSMC熊本工場(運営会社:JASM)に最大1兆2000億円超の補助を決定し、国内生産基盤の強化を急ぐ。しかし、これらの新工場が稼働しても、世界の先端半導体製造能力に占める台湾の割合が劇的に低下するわけではない。米SIA(半導体工業会)の2024年予測では、2030年時点でも台湾は10nm以下の先端ロジック半導体製造能力の47%を維持すると見られている。演習は、この再編が完了する前の「機会の窓」を突く動きとも解釈でき、西側諸国に残された時間は多くないことを物語っている。

日本企業が直面する選択

台湾海峡の緊張は、日本の半導体関連企業に二つの厳しい選択を突きつけている。一つは、短期的な事業継続計画(BCP)の精緻化である。顧客であるTSMCの操業停止や物流の混乱を前提とし、在庫の積み増し、代替輸送ルートの確保、台湾在勤者の安全確保といった具体的な対策が急務となる。特に、製造装置の保守部品や特殊な化学材料は、リードタイムが数ヶ月に及ぶものも少なくない。これらの供給が途絶すれば、日本国内の半導体工場も操業に支障をきたす可能性がある。もう一つは、より根源的な中長期の事業戦略の見直しだ。台湾への一極集中リスクを分散させるため、米国アリゾナ州やドイツのドレスデンで建設が進むTSMCの新工場、あるいはインテルやサムスン電子といった他の半導体メーカーとの取引を拡大する必要がある。国内では、次世代半導体の国産化を目指すRapidus(ラピダス)への参画も選択肢となる。同社は2nm世代の量産を目指しており、日本の装置・素材メーカーにとっては新たな国内巨大市場が生まれる可能性を秘める。しかし、Rapidusの事業が軌道に乗るかは未知数であり、巨額の先行投資と技術開発が求められる。台湾という巨大で安定した市場に安住するのか、地政学リスクを織り込んで新たな市場へ多角化投資を進めるのか。今回の演習は、その決断を先送りできない段階に来たことを、日本の産業界全体に突きつけている。