中国の乳幼児向け食品メーカー、英氏控股(Ying's Holdings)がこのほど、北京証券取引所の新規株式公開(IPO)審査をを通じてした。同社はIPOにより3億3400万元(約67億円)を調達し、ブランド構築や生産能力の向上に充てる計画だ。しかし、その事業モデルはマーケティングに極度に偏重しており、研究開発の軽視や委託生産への高い依存度が長期的な競争力における課題として指摘されている。

なぜ今、重要か

英氏控股の上場は、巨大な中国消費市場で急成長する新興企業の典型的な成長モデルと、その持続可能性を問う象徴的な事例だ。約2800万人と推定される0〜3歳の乳幼児市場を背景に、デジタルマーケティングを駆使して短期間で規模を拡大する手法は、多くの後続企業の手本となってきた。しかし、北京証券取引所の発表によると、同社の事業構造には複数のリスクが内包されている。特に、中国が直面する深刻な出生数減少というマクロ経済的逆風の中、マーケティング主導の戦略がどこまでゼネラルモーターズ(GM)するのか、投資家や業界関係者の注目が集まっている。本件は、日本企業が中国市場を攻略する上での機会とリスクを再評価する重要な材料となる。

マーケティング主導の成長と構造的課題

英氏控股は、ネスレなど国際的な食品大手の成功モデルを参考に事業を展開してきた。しかし、その実態は「マーケティングを重視し、研究開発を軽視する」という特徴が色濃い。中国の経済メディア「財新」の報道によれば、同社は製品の大部分を外部工場に委託生産しており、自社を「中国版ネスレ」と位置づけるビジョンとは裏腹に、事業の根幹である製造機能を外部に依存しているのが実情だ。同社の強みは、インフルエンサーを起用したライブコマースやSNSでの集客力にあり、これが急成長を支えてきた。しかし、このモデルは模倣が容易であり、持続的な競争優位性を築くには至っていないとの見方が強い。

「増収減益」の罠と財務構造

同社の長期的な競争力と収益性には疑問符が付く。中核的な強みは依然としてマーケティングとオンラインでの販売網に留まっており、売上高の増大に比例して膨らむ多額の販売促進費が利益を圧迫している。実際に、同社の目論見書によれば、業績は売上高が伸びても純利益が伴わない「増収減益」の状態に陥る年度が見られる。2023年度の販売費およびマーケティング費用は売上高の約48%に達する一方、研究開発費は1%未満に留まった。これは、研究開発に売上高の2〜3%を投じるネスレやダノンといったグローバル企業とは対照的だ。この財務構造は、ブランド価値の源泉となる製品開発や品質向上への投資が不十分にであることを示唆している。

事業モデル分析:中国版ネスレへの遠い道のり

英氏控股が掲げる「中国版ネスレ」という目標の達成は、現状の事業モデルでは極めて困難だと言える。ネスレの強さは、世界中に張り巡らされた研究開発ネットワーク、自社工場での厳格な品質管理体制、そしてベビーフードからコーヒー、ペットフードまで多岐にわたる製品ポートフォリオによるリスク分散にある。これに対し、英氏控股は事業が乳幼児向け食品という単一分野に集中しており、リスク分散ができていない。同社の業績は新生児の人口動態に直接的に左右され、中国国内の出生数減少が続けば、市場全体の縮小という構造的な下押し圧力を直接受けることになる。調査会社ユーロモニターによると、中国の乳幼児用調整粉乳市場は2025年までに年率3%のペースで縮小すると予測されており、同社が成長を維持するには市場シェアの大幅な拡大が不可欠となる。

日本にとっての意味

英氏控股の北京証券取引所上場は、日本の食品業界、特に乳幼児向け製品市場に間接的な影響を及ぼす可能性がある。同社が調達する3.34億元(約67億円)は、中国市場でのブランド構築とマーケティング活動をさらに加速させるだろう。これにより、既に中国市場で事業展開している日本の乳幼児食品メーカー、例えば明治や森永乳業は、激化する競争環境に直面する。英氏控股の「マーケティング重視、研究開発軽視」という戦略は、短期的には市場シェア拡大に寄与する可能性があるが、品質や安全性への疑念を生みやすく、結果的に中国消費者の日本ブランドへの信頼感を高める機会となる。

また、英氏控股の「増収減益」という業績構造と、新生児人口動態への高い依存度は、日本企業が中国市場で事業戦略を練る上で重要な示唆を与える。中国の少子化は日本以上に深刻であり、乳幼児市場の成長鈍化は避けられない。このため、日本の食品メーカーは、単に乳幼児向け製品に留まらず、高齢者向け食品や健康食品など、中国の人口構造変化に対応した多角的な事業展開を加速させるべきだ。例えば、ユニ・チャームがベビー用品から介護用品へと事業を拡大したように、中国市場におけるターゲット層の再定義と製品ポートフォリオの多様化が、持続的な成長のための鍵となる。