台湾による防衛力強化の動きが、世界の半導体供給網の中核を揺るがしている。総額100億ドルを超える米国製兵器の導入計画は台湾海峡の軍事的緊張を高め、結果として半導体受託製造(ファウンドリ)世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)の稼働リスクを顕在化させる。これは、最先端のフォトレジストやシリコンウエハー、製造装置の供給でTSMCに深く依存される日本の関連産業にとり、事業継続計画の根本的な見直しを迫る事態である。

108億ドル兵器導入、非対称戦力の現実

台湾の頼清徳政権は、中国の軍事的圧力に対抗するため「非対称戦力」の構築を急いでいる。米国防総省安全保障協力局(DSCA)が2022年以降に承認した主な対台湾武器売却案件は、F-16戦闘機用赤外線捜索追尾システム(IRST)や、高機動ロケット砲システム(HIMARS)、沿岸防衛用のハープーンミサイルなど、累計で108億ドル規模に達する。台湾国防部が公表した2024年度予算案における防衛費は過去最高の6068億台湾ドル(約2兆8000億円)となり、域内総生産(GDP)比で2.5%に達した。これは、侵攻軍に高いコストを強いる「ヤマアラシ戦略」を具現化する動きに他ならない。しかし、米国防総省が2023年10月に発表した「中国の軍事力に関する年次報告書」によれば、中国海軍の艦艇数は約370隻と米海軍の約290隻を上回っており、物量での均衡は困難な情勢が続く。台湾の兵器導入は抑止力向上を目指す一方、有事の蓋然性を高め、経済安全保障上の最大のリスク要因である半導体供給網の脆弱性を浮き彫りにしている。

なぜ半導体工場は「人質」となるのか?

半導体製造工場、特にTSMCが世界シェアの9割以上を握る先端品を生産する施設は、地政学的な「人質」と化す危険性を内包している。その理由は、工場の極端に高い操業条件にある。最先端の半導体は、原子レベルの微細加工を数百工程も繰り返して製造される。例えば、回路線幅が3ナノメートル(1ナノは10億分の1メートル)級の製品を製造するEUV(極端紫外線)リソグラフィー工程では、製造装置は真空環境を維持し、僅かな振動や数ミリ秒の電力変動すら許容しない。TSMCの主力工場が集中する新竹、台中、台南地区は、中国大陸から150〜250キロメートル圏内にあり、軍事演習の際にはミサイル着弾想定区域に隣接する。有事の際には、物理的な破壊を免れたとしても、電力・水の供給途絶、物流の麻痺だけで生産は完全に停止する。さらに深刻なのは、保守の断絶である。ASML(オランダ)製のEUV露光装置「NXE:3800E」は1台約300億円と高額な上、オランダ人技術者による24時間体制の保守が不可欠だ。有事の際に外国籍の技術者が退避すれば、装置は稼働不能に陥る。ASMLのピーター・ウェニンク最高経営責任者(CEO)は、有事の際には遠隔操作で装置を機能停止させる選択肢にも言及しており、工場の設備自体が地政学リスクと直結している実態がうかがえる。

TSMC停止が招く「半導体の大絶滅」

仮にTSMCの生産が6カ月間停止した場合、世界経済への影響は計り知れない。台湾の調査会社トレンドフォースの2024年第1四半期時点の調査では、TSMCは世界の半導体ファウンドリ市場で61.7%の売上高シェアを占める。特に、スマートフォンやデータセンターの頭脳となる7ナノ以下の先端ロジック半導体では、そのシェアは90%を超える独占状態にある。この供給が途絶えれば、米アップルやエヌビディア、クアルコムといった大手は新製品を市場投入できなくなり、世界の電子機器産業は連鎖的に停止する。米半導体工業会(SIA)とボストン・コンサルティング・グループが2021年4月に公表した報告書は、台湾の半導体生産が1年間完全に停止した場合、世界の電子機器メーカーが被る損失額は4900億ドルに上ると試算した。これは「半導体の大絶滅」とも呼べる事態であり、代替生産は事実上不可能だ。韓国サムスン電子や米インテルも先端半導体の生産能力を持つが、TSMCの巨大な生産能力を短期間で代替することはできず、顧客企業が設計データを他社向けに最適化するには1年以上の期間と莫大な費用を要するためである。TSMCの顧客企業は、このリスクを認識しつつも、代替困難な技術力ゆえに同社への依存を続けざるを得ない構造的ジレンマに陥っている。

日本を襲う「素材・装置」供給網の麻痺

台湾有事の影響は、TSMCに最先端の部材や装置を供給する日本企業を直撃する。半導体製造に不可欠なシリコンウエハーでは、信越化学工業とSUMCOの2社で世界シェアの約6割を握る。回路パターンをウエハーに転写するリソグラフィー工程で使われる感光材「フォトレジスト」では、JSR、東京応化工業、信越化学、富士フイルムの日本勢がEUV用で世界シェアの9割以上を占める。また、ウエハーを洗浄する高純度のフッ化水素もステラケミファや森田化学工業が高いシェアを持つ。これら日本企業にとって、TSMCは最大の顧客の一つだ。東京エレクトロンの2024年3月期決算における地域別売上高では、台湾向けが全体の22.6%を占め、中国に次ぐ第2の市場となっている。もし台湾への海上輸送路が封鎖されれば、これらの部材・装置の輸出は完全に停止する。これは日本企業の売上機会の喪失に留まらない。TSMCの生産停止は、世界の半導体需要そのものを冷え込ませ、日本企業が米国や欧州に持つ他の顧客向けのビジネスにも波及する。2019年の日本政府による韓国向けフッ化水素輸出管理の厳格化がサムスン電子などに与えた衝撃とは比較にならない規模で、世界の半導体生態系が機能不全に陥る危険性をはらむ。

日本企業が直面する選択

台湾を巡る地政学リスクの高まりは、日本の半導体関連企業に供給網戦略の根本的な再構築を迫っている。TSMCが熊本県に建設したJASM(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing)は、リスク分散の一環と位置づけられる。しかし、同工場で生産されるのは28ナノから12ナノ世代の製品であり、台湾本社で生産される最先端の3ナノ製品とは世代が異なる。日本の素材・装置メーカーは、国内での先端半導体生産エコシステム構築に貢献しつつも、台湾への依存構造が短期間で解消されない現実と向き合わねばならない。選択肢は多角化だ。米国アリゾナ州やドイツのドレスデンで進むTSMCやインテルの新工場建設計画に合わせ、現地での素材供給体制を構築する動きが加速すると見られる。信越化学は既にアリゾナ州での新工場建設を検討しており、他の素材メーカーも追随する可能性がある。これは、単なる顧客追随ではなく、地政学リスクを織り込んだ事業継続計画(BCP)の必須要件となりつつある。同時に、次世代半導体の国産化を目指すラピダス(Rapidus)への関与も重要性を増す。ラピダスが目指す2ナノ世代の量産が実現すれば、日本の装置・素材メーカーにとって国内に最先端技術の検証と量産の場が確保される。台湾有事という最悪の事態を想定し、技術の流出に細心の注意を払いながら、供給先の地理的分散と国内生産基盤の強化という二正面作戦を着実に進めることこそ、日本の半導体産業が生き残る道筋と見られる。