中国人民解放軍海軍の多国間演習が、世界の半導体供給網に構造的なリスクを突き付けている。演習海域である南シナ海や台湾海峡は、年間2.4兆ドル(約370兆円)相当の電子部品・製品が行き交う世界経済の頸動脈だ。軍事活動の常態化は、台湾積体電路製造(TSMC)や韓国サムスン電子といった巨大ファウンドリー(半導体受託製造)からの供給を寸断しかねず、日本の製造業も事業継続計画(BCP)の根本的な見直しを迫られている。今回の演習は単なる軍事行動に留まらず、半導体供給の支配権を巡る地政学的な駆け引きの新たな局面を告げるものと見られる。
5海域に及ぶ「国際協力」の威容
中国国防省が2023年12月22日に発表したところによると、海軍989任務部隊は38日間にわたる遠洋訓練を完了し、山東省青島の軍港に帰港した。注目すべきは、その規模と国際性である。部隊は11月15日に出航後、黄海、東シナ海、南シナ海、ジャワ海、西太平洋という、日本のシーレーン(海上交通路)と密接に重なる5つの海域を巡航した。航行距離は9000海里(約1万6700キロメートル)を超え、過去の同種訓練と比較しても広域かつ長期間に及ぶ。さらに、パキスタン、タイ、インドネシアなど8カ国から14人の士官候補生が参加。中国主導の国際的な軍事協力体制を誇示し、インド太平洋地域における影響力を既成事実化する意図が鮮明になった。米国防総省の2023年版「中国の軍事力に関する報告書」は、人民解放軍海軍の艦艇数が2023年時点で約370隻に達し、米海軍の約290隻を数で上回ると分析しており、今回の演習は量的な拡大を質的な影響力へと転化させるための戦略的行動と解釈できる。
なぜ南シナ海が半導体の急所なのか
中国が軍事演習の主舞台として選んだ南シナ海は、世界の半導体供給網にとって代替不可能な要衝である。国連貿易開発会議(UNCTAD)の2023年海運報告によれば、世界の海上コンテナ輸送量の約3分の1がこの海域を通過する。特に半導体関連では、その依存度はさらに高い。米半導体工業会(SIA)とボストン・コンサルティング・グループが2022年に公表した共同調査報告書は、世界の半導体貿易の約50%が台湾海峡を通過すると試算。台湾と韓国だけで世界のファウンドリー市場の約77%(TrendForce、2023年第4四半期時点の売上高基準)のシェアを占めるためだ。日本は、信越化学工業とSUMCOで世界シェアの約6割を握るシリコンウエハーや、JSR、東京応化工業などが世界市場を席巻するフォトレジストといった基幹材料を、この海上ルートで台湾や韓国の顧客へ輸出している。有事や緊張激化でこのルートが機能不全に陥れば、半導体生産は最初の工程から滞り、世界中の電子機器産業が連鎖的に停止する事態も想定される。
封鎖シナリオとEUV装置の稼働停止
台湾海峡や南シナ海で海上封鎖やそれに準じる「検疫」活動が発生した場合、半導体供給網は具体的にどのような打撃を受けるのか。まず、コンテナ船の運航停止や大幅な遅延、戦争リスクを反映した保険料の急騰が予想される。これにより、TSMCやサムスン電子の先端工場への材料供給が途絶える。例えば、先端半導体製造に不可欠なEUV(極端紫外線)リソグラフィー用のフォトレジストは、日本からの輸出に大きく依存する。これが届かなければ、スマートフォンやデータセンター向けに使われる5ナノメートル(nm)や3nmといった最先端プロセスの生産ラインは停止を余儀なくされる。さらに深刻なのは製造装置の保守だ。オランダASMLが独占供給するEUV露光装置は、極めて精密な部品の定期交換が稼働維持の生命線となる。例えば、EUV光を生成する光源(Light Source)モジュールは、消耗部品であり定期的な交換が必要だが、その部品供給や技術者派遣が海上・航空輸送の混乱で不可能になれば、1台500億円ともいわれる高額な装置群が稼働できなくなる。ASMLの2023年通期決算報告によれば、同社の売上高の約27%が台湾向けであり、地政学リスクが事業の根幹を揺るがすことを示唆している。
「国内回帰」でも途切れぬ供給連鎖
高まる地政学リスクに対応するため、日米欧は半導体の国内生産能力強化へ舵を切った。米国では527億ドル規模の補助金を盛り込んだ「CHIPS・科学法」が成立。インテルやTSMC、サムスンがアリゾナ州やテキサス州で巨大工場の建設を進める。日本でも、経済産業省が主導し、TSMCの熊本工場誘致や次世代半導体製造を目指すラピダス設立に合計で数兆円規模の支援を表明している。ラピダスの計画では、2027年に2nm世代の量産開始を目指し、IBMとの技術提携を軸に開発を進める。しかし、これらの国内回帰の動きだけでは供給網の脆弱性は完全には解消されない。半導体製造は500以上の工程を経ており、特定の国や地域が全工程を完結させることは事実上不可能であるためだ。例えば、ラピダスが製造するチップの組み立て・後工程(パッケージング)は、依然として台湾や東南アジアの専門企業(OSAT)に依存する可能性が高い。結局、製造拠点を分散させても、工程間の「半製品」を輸送する物流ルートが確保されなければ、供給網全体は機能しない。国際半導体製造装置材料協会(SEMI)の2024年予測では、中国が世界最大の半導体製造装置市場であり続ける見込みで、経済合理性と安全保障のジレンマは今後さらに深まる。
日本企業が直面する選択
中国の軍事的圧力と米国の規制強化という二つの潮流の間で、日本の半導体関連企業は難しい選択を迫られている。自動車、電機、産業機械など、半導体を大量に消費する川下産業は、まず調達先の複線化と安全在庫の積み増しが急務となる。トヨタ自動車は東日本大震災の教訓から部品供給網の情報を一元管理するシステムを構築しているが、地政学リスクを織り込んだシナリオの再検証が求められるだろう。有事を想定した航空輸送への切り替えは、コストが海上輸送の10倍以上になるケースもあり、製品の価格競争力を根本から揺るがす。一方、東京エレクトロンやディスコといった製造装置メーカー、信越化学やJSRといった素材メーカーは、自社の技術が地政学的な交渉カードになり得る。日本の素材・装置がなければ世界の半導体生産が成り立たないという事実は、供給網における日本の不可欠性を高める。この「チョークポイント(要衝)」としての立場を自覚し、日米欧の安全保障枠組みと連携しながら、供給責任を果たすための戦略的な対話と交渉を進める必要がある。単なる一民間企業の事業戦略を超え、国家レベルでの経済安全保障政策と一体化した行動が、今後の日本企業の存続と成長の鍵を握る。航行の自由という国際秩序の維持に、日本が官民一体でどう貢献していくのかが問われている。