高市早苗経済安全保障担当相の靖国神社参拝は、同氏が推進する経済安全保障政策の根幹を揺るがしかねない矛盾を露呈している。日本の半導体産業の強みは、最終製品ではなく、製造工程に不可欠な素材や装置の供給網における支配的な地位にある。この「見えざる支配力」は、世界市場での交渉力である一方、外交的摩擦によって容易に不安定化する。2023年の日本の半導体製造装置の対中輸出額が前年比44%増の約1兆円に達した(財務省貿易統計)現実を踏まえれば、政治的行動が企業活動に与える影響は、もはや閣僚個人の信条の問題では済まされない。サプライチェーンの安定確保を法制化した当事者が、その安定を損なう火種となりうる構造的課題を検証する。
揺らぐ「戦略的自律性」の前提
2022年5月に成立した経済安全保障推進法は、半導体などの特定重要物資の安定供給確保を柱の一つに据える。供給網の脆弱性を克服し「戦略的自律性」を高めるのがその目的だ。しかし、閣僚の政治的行動が近隣諸国との関係を悪化させ、結果として供給網の寸断を招く可能性は、この法の理念と自己矛盾を起こしかねない。このジレンマは、2019年7月に日本政府が韓国向けに半導体材料3品目の輸出管理を厳格化した事例で既に経験済みである。当時、フッ化ポリイミド、レジスト(感光材)、高純度フッ化水素の輸出規制は、韓国の半導体大手サムスン電子やSKハイニックスの生産計画に一時的な混乱を引き起こした。韓国側はこれを機に、素材・部品・装置の国産化と調達先の多様化を国家戦略として推進。韓国政府の発表によれば、100大核心品目の対日依存度は2018年の34.1%から2022年には24.9%へ低下したとされる。しかし、EUV(極端紫外線)リソグラフィー用のレジストなど、代替が極めて困難な先端材料分野では、依然として日本のサプライヤーへの依存構造が残存している。この経験は、政治的手段による供給網への介入が、相手国の技術自立を促す一方で、自国企業の市場シェアを長期的に損なう危険性を内包することを示している。
日本が握る「見えざる支配力」とは何か?
日本の半導体産業における真の強みは、完成品ではなく、製造工程の根幹を支える素材・装置分野に存在する。この「見えざる支配力」は、複数の特定分野における圧倒的な世界市場占有率によって構成される。例えば、最先端半導体の製造に不可欠なEUVリソグラフィー工程で使われるフォトレジスト(感光材)では、JSR、信越化学工業、東京応化工業、富士フイルムの日本企業4社で世界市場の約9割を握る。また、半導体の基板となるシリコンウエハーでは、信越化学工業とSUMCOの2社で世界シェアの約6割を占める(SEMI、2023年統計)。ウエハー表面の酸化膜除去や洗浄に使われる超高純度フッ化水素も、ステラケミファや森田化学工業などが高品質な製品を供給し、世界市場で高い存在感を示す。これらの素材は、なぜ代替が困難なのか。それは、原子レベルの精度が求められる半導体製造において、不純物が1ppb(10億分の1)存在するだけで数兆円規模の製造ラインが汚染され、製品の歩留まりが致命的に低下するためだ。日本メーカーが長年培ってきた精製技術や品質管理能力は、他国の企業が短期間で模倣できるものではない。この技術的参入障壁こそが日本の交渉力の源泉であり、同時に、地政学リスクに晒されるアキレス腱でもある。
中国の半導体国産化と日本の立ち位置
米国による先端半導体技術の対中輸出規制が強化される中、日本企業は複雑な立場に置かれている。米国はASML製のEUV露光装置など最先端技術の中国への輸出を厳しく制限する一方、比較的世代の古いArF(フッ化アルゴン)液浸やKrF(フッ化クリプトン)露光装置を用いた「成熟プロセス」向けの技術は、規制の対象外となるケースが多い。この規制の隙間を埋める形で、日本の製造装置や素材メーカーのビジネスが活況を呈している。財務省が公表した2023年の貿易統計によれば、日本の半導体製造装置の輸出額のうち、中国向けが全体の4割以上を占め、前年比で44.3%増の1兆136億円に達した。これは、中国の半導体メーカーが政府の巨額補助金を受け、成熟プロセスの生産能力を急拡大させている実態を反映している。東京エレクトロンやSCREENホールディングスといった装置メーカーにとって、中国は無視できない巨大市場だ。しかし、中国側から見れば、日本の装置・素材への依存は、米国の規制強化と並ぶ安全保障上の脆弱性と映る。2023年に中国が半導体材料であるガリウムとゲルマニウムの輸出規制を発動したように、政治的対立が深まれば、日本企業が同様の報復措置の標的となる可能性は否定できない。閣僚の靖国参拝のような象徴的な行動は、中国国内の対日強硬世論を刺激し、日本企業への圧力を正当化する口実を与えかねない。
なぜ外交的配慮が不可欠なのか?
経済安全保障は、単に国内の供給網を強靭化するだけの閉じた政策ではない。グローバルに張り巡らされたサプライチェーンの中で、自国の技術的優位性をいかに維持し、外交的資産として活用するかが問われる。日本の半導体材料・装置メーカーが持つ世界的なシェアは、まさにその外交的資産の源泉だ。しかし、この資産は、政治的・外交的な配慮を欠いた行動によって容易に価値を損なう。2019年の対韓輸出管理強化は、韓国側に「日本は信頼できる供給者ではない」という認識を植え付け、結果として韓国企業の脱日本依存を加速させた。同様の事態が、より巨大な市場である中国で起これば、日本企業が被る経済的損失は計り知れない。TrendForceの2024年3月の予測によれば、中国の成熟プロセス(28nm以上)におけるウエハー生産能力は、2027年までに世界全体の39%を占める見通しだ。この巨大な需要を取り込むことは、日本の半導体関連産業の持続的成長に不可欠である。閣僚の靖国神社参拝は、国内の支持層に向けた政治的メッセージとしての側面を持つ一方、国際社会、特に近隣諸国からは歴史認識を問う行動として受け止められる。経済安全保障を担当する閣僚が、自ら地政学的リスクを高める行動を取ることは、国益の観点から合理的な判断とは言い難い。企業の予見可能性を確保し、安定した事業環境を維持することもまた、政府の重要な責務である。
日本企業が直面する選択
地政学的な緊張の高まりは、日本の半導体関連企業に事業戦略の再考を迫っている。これまで日本企業は、特定の先端分野で圧倒的な技術的優位性を築き、ブラックボックス化した「匠の技」を競争力の源泉としてきた。しかし、政治的要因で市場へのアクセスが突然閉ざされるリスクが現実のものとなる中、単一の技術・市場への過度な依存は経営上の脆弱性に直結する。企業側で取りうる対策は、研究開発投資の加速による次世代技術での優位性確保、生産拠点の地理的な分散、そして顧客との共同開発を通じた関係性の深化などが挙げられる。例えば、次世代半導体の国産化を目指すRapidus(ラピダス)への参画や、TSMCの熊本工場への部材供給は、国内に先端技術の需要を生み出し、海外市場への依存度を相対的に下げる効果が期待される。しかし、世界最大の半導体市場である中国との関係を完全に断つことは非現実的だ。企業は政府に対し、外交的安定を維持し、予見可能な通商環境を整備するよう求め続ける必要がある。閣僚の個人的信条に基づく行動が、数十年かけて築き上げられた日本の産業競争力の基盤を揺るがす事態は避けねばならない。経済安全保障とは、技術を守るだけでなく、その技術が公正に評価され、取引される国際環境を守り育てる包括的な営みである。その視点が、今後の政策決定において一層強く求められるだろう。