中国で制作される第二次世界大戦下のマカオを描く歴史ドラマが、日本の半導体関連産業に新たな地政学リスクを突きつけている。ポルトガル領として中立を保った同地を「抵抗の拠点」として描く本作は、単なる映像作品に留まらない。米国の先端半導体規制に対し、中国が文化と歴史の再解釈をてこに国際世論を形成し、日本の供給網における重要拠点(チョークポイント)への圧力を強める布石と見る向きが専門家の間で強まっている。日本の経営層や投資家は、この「文化を媒介とした地政学」が自社の事業継続性に与える影響を再評価する必要に迫られる。
物語に込める現代の意図
中国で制作が報じられたテレビドラマ『風と潮』は、1941年から1945年にかけてのポルトガル領マカオを舞台とする。公式発表によれば、日本軍の圧力が強まる中で、中国本土の戦いを支援した人々の姿を描く。歴史上、マカオは日本軍の直接占領を免れたものの、周辺を封鎖され経済的苦境にあった。この複雑な状況を「抵抗」という一つの視点で再構成する動きは、現代的な意図を抜きに解釈するのは難しい。中国は近年、国内市場向けに歴史を題材とした映像コンテンツを多数制作しており、中国共産党中央宣伝部の指導の下、特定の歴史観を国内外に浸透させる手段として活用してきた。調査会社アムペア・アナリシスの2023年報告によれば、中国の映像コンテンツ市場規模は約170億ドルに達し、その影響力はアジア圏を中心に拡大している。本作もその潮流の一環であり、かつての中立地帯の歴史を現代の国家的な物語に組み込むことで、特に日本に対する外交的・経済的な駆け引きのカードとして利用される可能性が指摘される。これは、特定の国に対する世論を醸成し、将来の政策変更を正当化するための環境整備と見ることができる。
なぜ今、マカオの歴史が問われるのか
第二次世界大戦史においてマカオが主たる焦点となることは稀であった。その歴史が今、光を当てられる背景には、現代の地政学的な計算が存在すると見られる。香港が「一国二制度」の形骸化により国際金融拠点としての独自性を失いつつある中、マカオの歴史的独自性を「愛国」の文脈で再定義する狙いだ。さらに重要なのは、対外的なメッセージである。米国の対中半導体規制が強化される中、中国は米国だけでなく、その同盟国である日本やオランダに対しても報復措置をちらつかせてきた。2023年8月には半導体材料であるガリウムとゲルマニウムの輸出を許可制とし、世界の供給網に動揺を与えた。中国海関総署の統計では、規制前の2022年、中国は世界のガリウム生産量の約98%を占めていた。こうした資源ナショナリズムと並行し、歴史問題という「文化的な武器」を用いることで、日本の産業界、特に代替の利きにくい分野を標的とする揺さぶりをかけている可能性がある。物語を通じて「加害者」としての日本のイメージを国際的に増幅させ、日本の半導体関連企業が米国主導の規制に協力しにくい環境を作り出す。これは、物理的な供給網の分断と同時に進む、心理的な分断工作とも言えるだろう。
2019年「フッ化水素」の教訓
歴史をてことした圧力は、過去に日本自身が用いた輸出管理措置の構図と重なる。日本政府は2019年7月、韓国向け半導体材料3品目(フッ化ポリイミド、レジスト、高純度フッ化水素)の輸出管理を厳格化した。この措置は、韓国の半導体産業に短期的な打撃を与えた。特に純度99.999%以上の高純度フッ化水素は、当時、日本のステラケミファや森田化学工業などが世界市場の約9割を供給していたとされる。しかし、韓国政府とサムスン電子やSKハイニックスなどの大手企業は、これを機に素材の内製化と供給元の多角化を国家的な課題として推進。韓国貿易協会のデータによれば、フッ化水素の対日輸入依存度は2018年の41.9%から2021年には13.8%まで劇的に低下した。この経験は二つの教訓を残す。一つは、特定材料の供給停止が、長期的には相手国の技術的自立を促し、自国企業の市場シェアを損なう結果を招きうること。もう一つは、中国がこの事例を徹底的に分析し、日本に対して同様の対抗策を準備している可能性が高いことだ。中国は現在、半導体製造装置や先端材料の多くを日本に依存しており、その依存構造は韓国の比ではない。経済産業省の2023年版製造基盤白書によれば、半導体製造装置における日本の世界シェアは31%に達し、特に塗布現像装置(シェア約90%)や洗浄装置(同約60%)で圧倒的な地位を占める。
日本が握る「見えざる資産」の価値
米中技術覇権競争の激化は、日本の半導体関連産業が持つ「見えざる資産」の価値を浮き彫りにした。シリコンウエハー(信越化学工業、SUMCOで世界シェア約6割)、EUV(極端紫外線)露光用フォトレジスト(JSR、東京応化工業、信越化学工業、富士フイルムで世界シェア約9割)、半導体製造装置(東京エレクトロン、SCREEN、ディスコなど多数)といった分野で、日本企業は代替困難な技術的優位性を維持している。例えば、最先端の回路線幅5ナノメートル以下の半導体製造に不可欠なEUVリソグラフィー工程では、オランダASML製の露光装置が独占的地位にあるが、その性能を最大限に引き出すフォトレジストや、露光後の回路パターンを検査するマスク欠陥検査装置(レーザーテックが市場を独占)は日本製だ。この供給網における日本の立ち位置は、米国の対中規制において極めて重要な意味を持つ。米国は、日本とオランダの協力を取り付けることで初めて、中国の先端半導体開発を効果的に抑制できる。実際、日本政府は2023年7月、先端半導体製造装置23品目を輸出管理の対象に追加し、事実上、米国の規制に足並みをそろえた。この協力関係が、中国側から見れば日本を「格好の標的」と映らせる要因となっている。日本の技術的優位性は強力な交渉カードであると同時に、相手からの報復リスクを増大させる諸刃の剣なのである。
日本企業が直面する選択
歴史ドラマという文化現象を起点とする地政学リスクの分析は、日本企業、特に半導体関連の経営層に新たな問いを突きつける。それは、目先の利益と長期的な安全保障をいかに両立させるかという根源的な問いだ。中国は世界最大の半導体市場であり、多くの日本企業にとって最大の顧客でもある。業界団体SEMIの予測では、2024年の中国の半導体製造装置市場は前年比で微増し、依然として世界最大の400億ドル規模を維持する見通しだ。この巨大市場からの撤退は非現実的である一方、米国主導の規制強化と中国の対抗措置の板挟みとなるリスクはかつてなく高まっている。企業が取り組むべきは、まず供給網の精密な把握とリスク評価だ。一次取引先だけでなく、二次、三次の供給者まで遡り、特定の国や地域への依存度を定量的に可視化することが急務となる。その上で、生産拠点の分散や代替調達先の確保といった従来の事業継続計画(BCP)に加え、法務・渉外・広報部門が連携し、各国の政策変更や世論の動向を監視・分析する「地政学インテリジェンス機能」を組織内に構築する必要がある。技術的優位性を維持するための研究開発投資を継続しつつも、その技術が国際政治の舞台でいかに利用されうるかを常に意識する。それが、予測不能な時代を乗り切るための新たな経営の羅針盤となるだろう。