中国・上海の学術会議で「琉球独立論」が議論され、中国が沖縄を対象に世論戦・心理戦・法律戦を組み合わせた「三戦」を本格化させる兆候が表れた。2025年12月17日に上海春秋発展戦略研究院などが共催したシンポジウムでの一幕は、単なる学術討論の域を超え、日本の安全保障と経済活動に直接的な影響を及ぼす戦略的意図を浮き彫りにする。沖縄の地政学的重要性を背景に日米同盟を揺さぶるこの動きは、台湾有事をにらむサプライチェーン寸断リスクとも連動しかねない。日本企業は、この新たな地政学リスクの構造を冷静に分析する必要に迫られている。

上海で灯された「琉球カード」の実相

今回の動きの震源は、上海で「新たな恒久的平和への道を探る」と題して開かれた国際シンポジウムだ。主催者の一角を占める上海春秋発展戦略研究院は、元軍高官や政府系学者らが名を連ねる組織で、中国の対外戦略に影響力を持つとされる。共催のニュースサイト「観察者網」は、強い国家主義的論調で知られ、月間閲覧者数は数千万規模に上る。この枠組み自体が、特定の政治的意図を帯びた「舞台装置」であった可能性は高い。

登壇した龍谷大学の松島泰勝教授は、自身が発起人を務める「琉球民族独立総合研究会」の主張に沿い、歴史的経緯を基に琉球の自己決定権と独立を唱えた。松島氏の主張は、琉球王国がかつて中国王朝と冊封関係にあった点を強調し、その後の日本の「併合」と米国の軍事占領を植民地支配と位置づけるものだ。この論理は、中国が国連などの場で展開してきた「沖縄の人々への差別」という主張と共鳴する。防衛研究所の「中国安全保障レポート2021」が指摘するように、中国は特定の国内問題や歴史認識を国際的な人権問題に転換し、相手国の正統性を揺さぶる手法を多用してきた。今回のシンポジウムは、その実践例と見ることができる。

なぜ中国は今、沖縄に注目するのか?

中国が沖縄問題に関与を強める背景には、明確な地政学的計算が存在する。沖縄は、中国が西太平洋への海洋進出を図る上で越えるべき「第一列島線」の要衝に位置する。在日米軍専用施設の約70%が集中する沖縄の戦略的重要性は、米インド太平洋軍の2023年報告書でも「自由で開かれたインド太平洋の礎石」と再三強調されている。つまり、沖縄の政治的安定を損ない、日米同盟に亀裂を生じさせることは、中国にとって極めて合理的な戦略目標となる。

この動きは、2012年以降の尖閣諸島を巡る対立激化と同期して活発化したと見られる。中国は、歴史認識問題や領土問題で日本に圧力をかける一方、学術交流や文化交流を隠れ蓑に、日本の国内世論を分断する「統一戦線工作」を水面下で進めてきた。今回の「琉球独立論」の活用は、世論戦(メディアを通じた宣伝)、心理戦(相手に不安や不信感を植え付ける)、法律戦(国際法や国内法を自国に有利に解釈・利用する)を統合した「三戦」の一環と分析できる。国連人権理事会などの場で「琉球の先住民としての権利」に言及する中国政府の近年の動向は、この「法律戦」の布石に他ならない。

「学術交流」を隠れ蓑にした統一戦線工作

中国共産党中央統一戦線工作部が主導する工作は、対象国の政財界、学術界、メディア、華僑社会など多岐にわたる。学術交流はその中でも特に警戒が必要な経路だ。西側諸国の研究者が享受する「学問の自由」を逆手に取り、中国側の意図に沿った言説を、あたかも客観的な学術研究であるかのように発信させる手法が常態化している。オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)が2020年に公表した報告書では、中国が西側大学との共同研究を通じて軍事技術を獲得する事例や、研究者を取り込んで政治的影響力を行使する実態が詳述された。

今回のシンポジウムもこの類型に当てはまる可能性が高い。日本の研究者である松島教授が登壇することで、議論に「客観性」と「正当性」が付与される。その発言内容は、中国国内メディアである観察者網によって増幅され、さらに国際社会へと拡散される。この一連の流れは、中国の主張を代弁する「代理人」を育成し、活用する統一戦線工作の典型的な手口と言える。日本学術会議が2021年に発表した「外国からの研究活動への不当な干渉に関する声明」は、こうしたリスクへの警鐘であったが、具体的な防御策の構築は道半ばである。

台湾有事と連動するサプライチェーンリスク

沖縄を巡る地政学リスクは、安全保障の領域に留まらない。半導体や電子部品など、日本の先端産業を支えるサプライチェーンにとって、無視できない脅威となりつつある。台湾有事が発生した場合、沖縄県を含む南西諸島が紛争の最前線となる可能性は、防衛白書2024年版でも強い懸念として示された。物流の要衝である那覇港や那覇空港の機能が麻痺すれば、九州や本州と沖縄を結ぶ海上・航空輸送は深刻な打撃を受ける。

沖縄県内には、電子部品や精密機器の工場が複数立地する。例えば、半導体の後工程(組み立て・検査)を担う工場や、スマートフォン向けの高機能部品を製造する拠点が存在する。これらの工場は、台湾や東南アジアの生産網と密接に連携しており、沖縄の物流が寸断されれば、グローバルなサプライチェーン全体に遅延や生産停止の連鎖反応が広がる。経済産業省が推進する「半導体・デジタル産業戦略」では国内供給網の強靭化が掲げられているが、沖縄が地政学的な火種を抱えることで、その実効性が問われることになる。中国による「琉球独立」の扇動は、物理的な紛争に至らずとも、地域の不安定化を通じて投資環境を悪化させ、企業の立地判断に影響を与える「経済的威圧」の一形態となりうる。

日本企業が直面する選択

今回の上海での一件は、中国の対日戦略が、従来の歴史認識問題を巡る攻勢から、日本の領土・主権の根幹に関わる領域へと踏み込み始めたことを示唆する。この動きは、沖縄現地の民意とは大きく乖離している。琉球新報が2022年4月に実施した県民意識調査では、日本の独立国としての沖縄の独立を「望まない」とする回答が89%に達し、「望む」は4%に過ぎない。中国側が描く「独立」と、沖縄県民が求める「自己決定権」や「基地負担の軽減」は、全く異質のものである。

しかし、この乖離があるからといって、日本企業が安閑としていられるわけではない。中国は、この言説をテコに、国際社会において「日本は沖縄を抑圧している」との印象操作を強めるだろう。これは、企業のESG(環境・社会・企業統治)評価、特に人権デューデリジェンスの文脈で、新たなリスク要因となる可能性がある。海外の投資家や顧客から、沖縄での事業活動が「人権侵害に加担している」との批判を受ける事態も想定される。

企業に求められるのは、こうした情報戦・心理戦の実態を正確に把握し、自社の事業継続計画(BCP)やサプライチェーン戦略に地政学リスクを明確に組み込むことだ。特に、台湾海峡と東シナ海に跨る物流網への依存度を再評価し、代替ルートや国内回帰の選択肢を具体的に検討する必要がある。中国発の言説に惑わされることなく、事実に基づきリスクを定量化し、冷静かつ戦略的に対応する経営判断が、これまで以上に重要になっている。