ソフトバンクグループ(SBG)が、半導体設計子会社Armに続く次の一手として10兆円規模のAI用半導体事業を構想している。この巨大計画の成否は、創業者である孫正義会長兼社長(67)の後継者選びと密接に絡み合う。生成AIの普及で電力効率の高い半導体が必須となるなか、金融と事業経営の経験を持つ長女の川名麻耶氏(43)ら複数の候補者の名が挙がるが、SBGの未来は技術と経営の両面で極めて高い専門性を要請する。グループの投資戦略は、日本の半導体素材・製造装置産業にとっても、巨大な商機と構造変革の圧力を同時にもたらすものだ。
10兆円AI半導体構想「イザナギ」の現実味
孫正義氏が主導するAI半導体事業構想、通称「プロジェクト・イザナギ」は、SBGの自己資金300億ドルと中東の政府系ファンドなどからの700億ドル、合計1000億ドル(約15兆円、1ドル150円換算)規模を想定する。米ブルームバーグが2024年2月に報じたこの計画は、AIの学習・推論に不可欠な半導体を自前で開発・製造し、現在の市場を席巻する米NVIDIA(エヌビディア)に対抗する野心的な試みだ。SBGは2024年5月の決算説明会で計画の存在を公式には認めていないが、孫氏はAI革命への強い意欲を繰り返し表明している。SBGの2024年3月末時点の純有利子負債は6.2兆円、保有資産価値に対する負債比率(LTV)は8.8%と、過去の危機時に25%を超えていた状況からは大きく改善しており、大規模投資に踏み出す財務的な余力は生まれつつある。この構想は、単なる半導体開発にとどまらず、データセンターや発電事業までを包含する垂直統合型のAI基盤構築を目指していると見られる。これは、AIの演算能力が電力供給と密接に結びつくという孫氏の洞察に基づく。事実、国際エネルギー機関(IEA)の2024年1月報告書によれば、データセンターの電力消費量は2026年までに世界全体で1000TWhを超え、日本の総電力消費量に匹敵する規模に達すると予測される。この電力制約こそが、NVIDIA製GPUとは異なる、省電力性能に優れた独自半導体を開発する大きな動機となる。
なぜArmの成功だけでは不十分なのか?
SBG傘下のArmは、その省電力設計技術を武器にスマートフォン向け半導体市場で99%の占有率を誇る。2023年9月の米ナスダック市場への再上場は成功を収め、SBGに巨額の含み益をもたらした。Armの2024年1-3月期決算では、売上高が前年同期比47%増の9億2800万ドルに達し、特にデータセンター向け半導体のロイヤルティー収入が好調だ。しかし、Armの事業モデルは、半導体の「設計図」にあたるIP(知的財産)をライセンス供与する水平分業型である。実際の半導体を製造・販売するのは台湾TSMCや米クアルコムといった顧客企業であり、Arm自身がAI半導体市場の最終的な価値を直接獲得するわけではない。現在の生成AI市場では、NVIDIAが自社設計のGPU「H100」や次世代機「B200」を、TSMCの最先端パッケージ技術「CoWoS(コワース)」を用いて製造し、圧倒的な性能とエコシステムで市場を支配している。米調査会社オムディアの2023年12月時点の調査では、NVIDIAのデータセンター向けGPU市場でのシェアは9割を超える。Armアーキテクチャを採用したAI半導体も登場しているが、NVIDIAが長年かけて築き上げたソフトウェア基盤「CUDA」の牙城を崩すのは容易ではない。孫氏が目指すのは、Armという強力なカードを持ちながらも、自ら最終製品を手掛けることでAI市場の価値連鎖を支配するゲームチェンジャーとなることだ。そのためには、ArmのIPを基盤としつつも、NVIDIAを凌駕する性能と電力効率を持つ独自のAIアクセラレーターを開発し、それを安定的に量産する体制の構築が不可欠となる。
後継者候補3氏、それぞれの適性と課題
巨大なAI半導体構想を推進するには、金融、技術、国際交渉の全てに精通した経営者が求められる。孫氏の後継者候補として、複数の人物が取り沙汰されている。最有力候補の一人と目されるのが、SBGの国内通信子会社ソフトバンクの社長を務める宮川潤一氏だ。通信技術者出身で、SBGの最高技術責任者(CTO)も兼務した経歴を持ち、技術への深い理解と事業運営能力を兼ね備える。しかし、10兆円規模の国際的な資金調達と半導体エコシステム構築という壮大なプロジェクトを率いるには、グローバルな投資銀行業務の経験がさらに求められる可能性がある。財務面では、後藤芳光CFO(最高財務責任者)の存在感が大きい。長年、孫氏の右腕として数々の大型案件の資金調達や財務戦略を担ってきた。SBGの財務規律を回復させた実績は高く評価されるが、事業の最前線で技術戦略を主導する役割とは異なる。ここで注目されるのが、孫氏の長女である川名麻耶氏の存在だ。慶應義塾大学卒業後、米金融大手ゴールドマン・サックス証券の投資銀行部門でM&A助言業務などに従事した経歴を持つ。金融の専門知識と、自らブランドコンサルティング会社を起業した事業経験は、SBGが求める資質と重なる部分がある。ただし、巨大ハイテク企業の経営経験はなく、その手腕は未知数だ。これら候補者の誰が、あるいはどのようなチームが後を継ぐにせよ、孫氏個人のカリスマと直感に依存してきた経営からの円滑な移行が最大の課題となる。
日本の製造装置・材料が握る「見えざる拒否権」
SBGのAI半導体構想がどれほど野心的であっても、その実現は日本の素材・製造装置メーカー群への依存を抜きには語れない。半導体製造は、極めて複雑で精密な工程の連鎖であり、特定の工程を独占的に支える日本企業の存在感は大きい。例えば、回路パターンをシリコンウエハーに転写するリソグラフィー工程で使われる感光材「フォトレジスト」では、JSR、信越化学工業、東京応化工業といった日本企業が最先端のEUV(極端紫外線)向けで世界市場の約9割を占める。また、ウエハーを平坦に研磨するCMP(化学機械研磨)装置や、回路を形成したウエハーを個々の半導体に切り分けるダイシングソーでは、荏原製作所やディスコがそれぞれ高い世界シェアを持つ。特にディスコの「KABRA」と呼ばれるレーザーを用いたインゴットスライス技術は、硬くて脆い炭化ケイ素(SiC)などの次世代パワー半導体材料の加工に不可欠だ。SBGがNVIDIA対抗の高性能AI半導体を製造委託する場合、その製造ラインはこれらの日本製装置と材料で埋め尽くされることになる。これは、日本のサプライヤーがSBGの計画に対して「見えざる拒否権」を持つことを意味する。経済安全保障の観点から、日本政府が2023年7月に先端半導体製造装置23品目の輸出管理を強化したように、地政学的な緊張が高まれば、これらの基幹技術の供給が戦略的な手段として用いられる可能性も否定できない。SBGの構想は、グローバルなサプライチェーンの安定性を前提とするが、その根幹は日本の技術基盤が支えているという構造を直視する必要がある。
日本企業が直面する選択
ソフトバンクグループの壮大なAI戦略は、日本の産業界に二つの異なる選択を突きつけている。一つは、巨大な事業機会としての側面だ。SBGがAI半導体の開発・製造に乗り出せば、前述の製造装置や素材メーカーはもちろん、半導体の性能を最終的に決定する検査装置を手がけるアドバンテストやレーザーテック、あるいは半導体の基板となるシリコンウエハーで世界シェア約6割を握る信越化学工業とSUMCOなど、広範な企業に新たな需要が生まれる。SBGが構築を目指すAIエコシステムに参加し、共同開発や資本提携を通じてグローバル市場へ飛躍する好機となり得る。特に、革新的な技術を持つスタートアップにとっては、SBGの投資部門であるビジョン・ファンドからの資金調達も視野に入るだろう。
もう一つは、自社の変革を迫る挑戦者としての側面である。SBGの動きは、単なる一企業の投資活動ではない。AIとエネルギーを統合し、産業構造そのものを再定義しようとする試みだ。これは、旧来の事業モデルに安住する企業にとっては脅威となり得る。例えば、伝統的な電力会社や製造業は、AIによる効率化の波に乗り遅れれば、競争力を根本から失いかねない。SBGの戦略は、日本企業に対して、未来の基幹技術へ大胆に先行投資する重要性と、創業者のカリスマに依存しない持続可能な経営承継計画を策定する必要性を同時に示している。孫氏という稀代の経営者が描く未来図に、部品供給者として従属するのか、あるいは自らも未来を構想する主体となるのか。日本の企業経営者は、その選択を迫られている。ソフトバンクグループの経営の行方は、単なる一企業の承継問題を超え、日本経済全体の将来を占う試金石となるだろう。