米財務省による対イラン追加制裁が、原油価格の高騰を通じて半導体製造のコスト構造を揺さぶり始めた。中東の地政学リスクは、エネルギー集約型の先端半導体工場にとって直接的な収益圧迫要因となる。国際エネルギー機関(IEA)の分析では、紛争の本格化で原油価格が1バレル100ドルを超えて定着した場合、先端半導体工場の年間電力費用は2〜3%上昇するとの試算もある。この影響は、EUV露光装置を多数稼働させる台湾積体電路製造(TSMC)や韓国サムスン電子、インテルといった巨大企業から、特殊材料を供給する日本の化学メーカーに至るまで、サプライチェーン全体に及ぶ。エネルギー調達と海上輸送路の脆弱性という、現代製造業の根源的な課題が改めて浮き彫りになった形だ。

原油高騰から電力費へ、製造原価を直撃

今回の制裁が半導体産業に与える最も直接的な影響は、製造コスト、とりわけ電力費の上昇だ。半導体工場は「電気を喰う」産業の典型であり、先端プロセスになるほどその傾向は強まる。例えば、回路線幅5ナノメートル以下の製造に不可欠なEUV(極端紫外線)露光装置は、その原理上、エネルギー効率が極めて低い。光源から発したプラズマ光を多層膜ミラーで反射させ、最終的にウエハーに届く光のエネルギーは初期の0.2%程度に過ぎない。オランダASML製の最新機「NXE:3800E」は1台で約1.5メガワットの電力を消費するとされ、これは一般家庭約300世帯分に相当する。先端工場ではこの装置を数十台単位で24時間稼働させるため、電力費が製造原価に占める割合は15%を超えることも珍しくない。米エネルギー情報局(EIA)が10月上旬に発表した短期エネルギー見通しでは、ブレント原油価格が2025年にかけて平均90ドル台で推移する可能性が示唆されており、これは2023年初頭比で約15%高い水準だ。電力料金が原油価格に連動する地域では、この上昇分がほぼそのまま工場の運営費に転嫁される。TSMCが2023年度の有価証券報告書で開示した電力使用量は219億キロワット時に達しており、わずかな単価上昇でも億ドル単位のコスト増に繋がる計算となる。

ホルムズ海峡緊迫、日本の生命線は盤石か

エネルギー価格と並ぶもう一つの懸念が、海上輸送路(シーレーン)の不安定化だ。世界の海上輸送石油の約2割、液化天然ガス(LNG)の約3分の1が通過するホルムズ海峡の航行リスクは、日本のエネルギー安全保障を根底から揺るがす。日本は原油輸入の9割以上、LNGの約2割を中東地域に依存しており、この海峡は文字通り経済の生命線である。制裁強化とそれに伴うイラン側の反発により、タンカーへの攻撃や拿捕、機雷敷設といったリスクが高まれば、船舶保険の保険料率は急騰する。ロンドンの保険市場では、有事の際に船主が追加で支払う「戦争保険料」が、既に平時の2〜3割増しで提示される事例が出始めたと報じられている。仮に海峡が封鎖されれば、アフリカ南端の喜望峰を回る迂回航路を選択せざるを得ない。この場合、中東から日本までの航海日数は約10日、距離にして約6,000キロメートル延長され、燃料費だけで1隻あたり数千万円の追加コストが発生する。これはエネルギー輸送に限った話ではない。半導体製造に用いるフォトレジストの原料となるナフサなど、多くの石油化学製品も同海峡を経由して日本に輸入されている。サプライチェーンの寸断は、エネルギー供給だけでなく、素材調達の面からも製造業の操業停止リスクを増大させる。

なぜ半導体業界は中東情勢に敏感なのか

半導体業界が中東の地政学リスクに敏感に反応する背景には、2022年のウクライナ危機で得た教訓がある。当時、半導体の露光工程で使われるネオンやクリプトンといった希少なガス(レアガス)の供給が滞り、価格が一時10倍以上に高騰した。ウクライナはこれらのガスの世界供給の約5割を占める主要生産国であり、紛争によって生産拠点が破壊され、世界的な供給不安を引き起こした。この経験は、特定の地域に依存する供給網の脆弱性を業界全体に痛感させた。中東は現時点で半導体向けレアガスの主要供給地ではない。しかし、石油や天然ガスという根源的なエネルギー供給を握られている以上、その価格変動や供給途絶は、形を変えて製造現場を襲う。さらに、イスラエルとイランの対立激化は、新たなリスク要因となる。イスラエルにはインテルやエヌビディア、アップルといった世界的な半導体企業の主要な設計・開発拠点が集積している。物理的な紛争が起これば、これらの頭脳拠点からの人材流出や開発計画の遅延は避けられない。ある半導体製造装置メーカー幹部は「地政学リスクは、もはや無視できる外部変数ではない。製造原価や研究開発計画に直接組み込むべき内部変数になった」と語る。サプライチェーンのどこか一箇所でも機能不全に陥れば、最先端の工場といえども稼働できない現実を、業界は直視している。

制裁の「飛び火」、素材・化学産業の死角

米国の制裁は、イランの石油・ガス産業を直接の標的とするが、その影響は石油化学分野を経て、日本の誇る素材・化学産業に「飛び火」する可能性がある。イランは世界有数のエチレン生産国であり、国営石油化学会社(NPC)の統計によれば、2023年の生産能力は年間950万トンに上る。エチレンはポリエチレンやエチレングリコールなど様々な化学製品の基礎原料であり、これらは半導体製造工程で使われる洗浄剤や、シリコンウエハーを研磨するCMPスラリーの添加剤、さらにはクリーンルームで使われる梱包材など、多岐にわたる用途を持つ。今回の制裁対象に石油化学関連企業が含まれることで、これらの基礎化学品の国際需給が逼迫する可能性は否定できない。日本はナフサを輸入し国内でエチレンを生産しているが、国際市況が高騰すれば国内価格も連動して上昇する。半導体用フォトレジストで世界シェア約9割を握るJSR、信越化学工業、東京応化工業といった企業群も、その原料を辿れば石油化学製品に行き着く。各社は調達先の多角化を進めているものの、基礎原料レベルでの価格上昇はコストとして吸収せざるを得ない。ステラケミファや森田化学工業が世界シェアの大半を占める高純度フッ化水素も、原料の蛍石価格はエネルギーコストと無縁ではない。一見遠い中東での出来事が、巡り巡って日本の競争力の源泉である素材産業の収益性を蝕む構造が浮かび上がる。

日本企業が直面する選択

中東情勢の緊迫化は、日本のハイテク産業に対し、エネルギー戦略の根本的な見直しを迫るものだ。短期的な対策としては、LNGや原油の調達先の多角化が挙げられる。政府と商社、電力会社が一体となり、米国産シェール由来のLNGや、オーストラリア、カタールからの長期契約比率を高める動きが加速すると見られる。しかし、これはあくまで対症療法に過ぎない。より本質的な解決策は、国内のエネルギー構造を変革し、海外の地政学リスクに対する耐性を高めることにある。具体的には、再生可能エネルギーへの投資拡大と、徹底した省エネルギー技術の開発・導入が車の両輪となる。半導体製造装置メーカーも対応を急ぐ。例えば、東京エレクトロンやSCREENホールディングスは、消費電力を前世代機比で20〜30%削減した新型の成膜装置や洗浄装置を相次いで市場に投入している。シリコンウエハーを切断・研削する装置で世界首位のディスコは、レーザー加工技術を応用し、従来型の砥石研削に比べて消費電力を大幅に抑えるプロセスを実用化した。こうした個々の装置レベルでの省エネ努力の積み重ねが、工場全体のエネルギー効率を改善し、コスト競争力を維持する鍵となる。同時に、次世代のエネルギー源として期待される核融合や、地熱、洋上風力といった国産エネルギー源の開発を国家戦略として加速させることが、長期的な安定供給と経済安全保障の確立に不可欠である。