台湾有事の最大の経済的脅威は、世界の先端半導体供給の停止である。世界のスマートフォンやデータセンターを支える台湾積体電路製造(TSMC)の先端工場が稼働を止めれば、経済的損失は計り知れない。特に米アップルやエヌビディアが依存する3ナノメートル(nm、ナノは10億分の1)世代の生産は台湾に集中しており、その製造に不可欠な日本の素材・装置メーカーも連鎖的に影響を受ける。本稿では、軍事緊張が半導体供給網のどの部分を、どの程度の深刻さで寸断しうるのかを技術的側面から分析する。
なぜTSMCの工場停止は世界経済を揺るがすのか
台湾積体電路製造(TSMC)の世界半導体市場における地位は、単なる一企業の優越性を超える。米ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が2021年4月に米国半導体工業会(SIA)と共同で公表した報告書によれば、回路線幅10nm以下の先端ロジック半導体の生産能力において、台湾の世界シェアは92%に達する。この数値は発表から数年を経た現在、TSMCの3nm世代量産開始により、さらに高まっていると見られる。具体的には、アップルの「iPhone 15 Pro」に搭載されたプロセッサー「A17 Pro」や、エヌビディアの次世代AI半導体「B200」など、現代のデジタル経済を牽引する製品群は、TSMCの3nm製造技術「N3B」および改良版の「N3E」に全面的に依存している。これらの最先端半導体は、主に台湾南部のサイエンスパークにあるTSMCの「Fab 18」で集中的に生産されている。台湾海峡で軍事的緊張が高まり、仮にこの一拠点の稼働が数週間停止するだけで、世界の電子機器産業は生産計画の大幅な見直しを迫られる。米国政府の試算では、台湾の半導体供給が1年間途絶した場合の経済的損失は1兆ドルを超えるとされ、これは単なる電子部品の供給問題ではなく、世界経済の基盤そのものを揺るがす事態と言える。
露光装置が止まれば「最先端」は生まれない
半導体製造工程の心臓部を担うのが、回路パターンをシリコンウエハーに焼き付けるリソグラフィー(露光)工程である。この工程の成否が、半導体の性能と集積度を決定づける。現在の7nm以下の先端半導体製造に不可欠なのが、オランダのASMLが市場を独占する極端紫外線(EUV)露光装置だ。物理的原理として、EUV光は波長13.5nmという極めて短い光を用いるため、従来のArF液浸露光(波長193nm)では不可能だった微細な回路形成を可能にする。TSMCや韓国サムスン電子は、ASML製の「NXE:3800E」(開口数0.33)といった1台200億円以上する装置を数十台導入し、5nmや3nm世代の量産体制を構築している。このEUV露光装置は、年間保守契約だけで数十億円に上り、ASMLの技術者が常駐して稼働を維持する精密機械だ。有事の際、ASMLが安全上の理由から技術者を引き揚げ、遠隔での保守サポートを停止すれば、装置は数週間で稼働を維持できなくなると専門家は指摘する。さらに、次世代の2nmプロセスで導入が検討される高NA(開口数)EUV露光装置「EXE:5200」は、開口数を0.55に高めて解像度を1.7倍向上させるが、構造がさらに複雑化し、ASMLへの依存度は増す一方である。代替技術が存在しない以上、ASMLの動向が先端半導体の生産可否を直接左右する構造となっている。
日本の素材なくして先端工場は稼働しない
EUV露光装置という「機械」があっても、それだけでは半導体は作れない。露光工程でウエハー上に塗布される感光材「フォトレジスト」や、半導体の基板となる「シリコンウエハー」といった素材が不可欠であり、これらの先端分野では日本企業が極めて高い世界シェアを握る。EUV用フォトレジスト市場では、JSR、信越化学工業、東京応化工業、富士フイルムの4社合計で世界シェアの約9割を占める。特にEUV光はエネルギーが強く、従来のレジストでは解像度、感度、凹凸(ラフネス)のトレードオフを解決できない。日本企業は長年の材料開発で培った高分子設計技術を駆使し、この難題を克服する製品をTSMCなどに供給している。また、半導体の土台であるシリコンウエハー市場でも、信越化学工業とSUMCOの2社で世界シェアの約6割を確保する。先端ロジック半導体に使われる直径300mmの高品質なエピタキシャルウエハーは、結晶欠陥や表面汚染を原子レベルで制御する必要があり、両社の独壇場だ。JEITA(電子情報技術産業協会)の2023年統計によれば、日本の電子材料生産額は年間約2兆円に上り、その多くが半導体向けである。台湾有事で海上輸送路が封鎖されれば、これらの重要素材の供給は即座に滞り、TSMCの先端工場は操業停止に追い込まれる。
水と電力、見過ごされがちな脆弱性
半導体工場は「水と電気を大量に消費する装置産業」とも形容される。TSMCの2022年サステナビリティ報告書によると、同社は台湾全体の電力消費量の約6%を占め、その割合は先端プロセスの拡大に伴い年々増加している。3nmプロセスではEUV露光装置の消費電力が特に大きく、工場全体の電力需要を押し上げる。台湾はエネルギー資源の9割以上を輸入に頼っており、LNG(液化天然ガス)の海上輸送が滞れば、大規模な電力不足に直面するリスクを抱える。また、ウエハーの洗浄工程では、不純物を極限まで取り除いた「超純水」が1日に数万トン単位で必要となる。TSMCは水不足対策として再生水利用率を高めているが、それでもなお新規の取水は不可欠だ。近年の台湾では干ばつが頻発しており、2021年には一部地域で給水制限が実施され、TSMCが給水車を大量に手配する事態となった。軍事的な封鎖や攻撃は、電力網や水供給インフラを直接の標的とする可能性があり、工場建屋が無傷でも生産ラインが機能不全に陥る危険性は高い。これらのインフラの脆弱性は、装置や材料の供給網とは別の次元で、台湾の半導体生産における構造的なリスク要因となっている。
日本企業が直面する選択
台湾を巡る地政学リスクの高まりは、日本の半導体関連企業に二重の課題を突きつける。一つは、TSMCなどを顧客とする素材・装置メーカーの事業継続計画(BCP)である。台湾への輸出が途絶した場合の代替市場や、国内での在庫積み増し、生産調整といったシナリオの精査が急務となる。2019年の韓国向けフッ化水素輸出管理強化の事例は、特定国への依存度の高さが、外交問題によっていかに事業を揺るがすかを浮き彫りにした。もう一つは、半導体を使用する側の自動車や電機メーカーのリスクだ。ルネサスエレクトロニクスの工場火災で自動車生産が滞ったように、特定サプライヤーへの依存は危険である。ましてや台湾有事となれば、影響は比較にならない。経済産業省は、TSMCの熊本工場誘致や国内の新会社ラピダス設立を支援し、先端半導体の国内生産基盤構築を急ぐが、量産開始は2027年以降であり、当面は台湾への依存構造が続く。日本企業は、供給網の多角化を進める「チャイナ・プラスワン」ならぬ「台湾プラスワン」戦略を真剣に検討する必要がある。これには、米インテルや韓国サムスン電子のファウンドリー活用、あるいは旧世代半導体で代替可能な設計への見直しなど、技術的な選択肢も含まれる。軍事衝突という最悪の事態を想定し、平時から供給網の強靭化に着手することが、経営の必須要件となりつつある。