中印の地政学的緊張が、世界の半導体供給網の再編を不可逆的に進めている。インドが1.2兆円規模の国家補助を投じ、米マイクロン・テクノロジーや台湾の鴻海精密工業を誘致。次なる「世界の工場」として半導体国産化に動く。米国の対中規制強化を追い風に、電子機器受託製造サービス(EMS)大手が生産能力を移管。これにより、2027年までに世界のスマートフォン製造における中国への依存度が3割低下するとの予測もある。この巨大な潮流は、世界シェアの過半を握る日本の半導体素材・装置メーカーに対し、新たな市場への参入機会と、既存の中国事業との間で難しい選択を迫っている。
印、半導体国産化へ1.2兆円投入
インド政府が半導体エコシステムの国内構築に向け、本格的に動き出した。2021年12月に承認された生産連動型優遇策(PLI)は、総額7600億ルピー(約1.2兆円)規模に上る。この計画は、半導体工場(ファブ)や後工程である組み立て・試験・マーキング・パッケージング(ATMP)施設、化合物半導体工場、ディスプレー工場の設立費用に対し、最大50%を補助する野心的な内容だ。米中技術摩擦を背景に、経済安全保障上の要衝となりつつある半導体の国内生産能力 확보を国家目標に掲げた形となる。この呼びかけに応じ、米メモリー大手マイクロン・テクノロジーが2023年6月、グジャラート州サナンドにATMPの新工場を建設すると発表した。総投資額は最大8億2500万ドルで、インド中央政府から50%、州政府から20%の財政支援を受ける。同工場は2024年後半の稼働を目指しており、DRAMやNAND型フラッシュメモリーのパッケージングを担う。台湾の鴻海精密工業も、インド複合企業ヴェダンタとの半導体合弁計画が破談した後、単独でインド国内での半導体工場設立を模索しており、複数の州政府と協議を継続していると報じられている。地場財閥のタタ・グループも半導体事業への参入を表明し、後工程分野で10億ドル規模の投資を検討中だ。インド電子・半導体協会(IESA)の2023年報告によれば、国内の半導体市場規模は2026年に640億ドルへ拡大する見通しで、2021年の270億ドルから年平均19%の成長が予測されている。この巨大な内需が、海外企業の投資意欲を刺激する最大の要因となっている。
なぜ今、インドが代替地なのか?
世界中の製造業がインドに注目する背景には、複数の構造的要因が複合的に絡み合っている。最大の推進力は、米国の対中半導体規制に代表される地政学リスクの顕在化だ。2022年10月に米国商務省産業安全保障局(BIS)が発表した包括的な輸出管理規則は、中国の先端半導体製造能力を事実上封じ込めるもので、サプライチェーンの「脱中国化」を決定づけた。これにより、企業は中国一極集中生産のリスクを再評価せざるを得なくなり、「チャイナ・プラスワン」戦略の実行が喫緊の経営課題となった。その有力な受け皿として、インドが浮上した。第二に、インド自身の経済的魅力がある。国際通貨基金(IMF)の2024年4月時点の予測では、インドの実質GDP成長率は2024年に6.8%、2025年に6.5%と、他の主要経済圏を大きく上回る。国連の推計によれば、2023年には人口で中国を抜き世界最多となり、生産年齢人口が分厚い「人口ボーナス」期にある。豊富な若年労働力は、労働集約的な組立工程において大きな比較優位となる。第三に、インド政府の積極的な産業育成策が挙げられる。前述のPLIスキームに加え、法人税率の引き下げ(既存企業25%、新規製造業15%)や土地取得手続きの簡素化など、外資誘致に向けた環境整備を進めている。こうした要因が組み合わさり、特に電子機器の組立拠点としてインドの存在感が高まっている。米アップルはiPhoneの生産委託先である鴻海、緯創資通(ウィストロン)、和碩聯合科技(ペガトロン)に対し、インドでの生産拡大を要請。調査会社カウンターポイント・リサーチによると、2023年時点でインド製iPhoneの出荷台数は前年比65%増に達し、金額ベースで全iPhoneの14%を占めるまでになった。
中国「世界の工場」からの機能移転
かつて「世界の工場」としての地位を不動のものとしていた中国から、インドへの生産機能移転が加速している。その潮流を最も象徴するのが、米アップルのサプライチェーンだ。J.P.モルガンの2023年9月のリポートによれば、アップルは2025年までにiPhone全体の25%をインドで生産する計画で、2022年時点の約5%から大幅に引き上げる方針とされる。これに伴い、台湾のEMS大手はインドへの大規模投資を余儀なくされている。鴻海精密工業は2023年、南部カルナータカ州に3億ドルを投じてiPhone部品工場を増設すると発表。さらにテランガナ州にも5億ドル規模の投資を計画している。同社のインドにおける従業員数は、2024年初頭時点で約5万人に達した。和碩聯合科技も南部タミル・ナドゥ州の工場拡張に1.5億ドルを投じるなど、追随の動きが活発だ。この動きはスマートフォンに限らない。米デルやHPといったPC大手も、インド政府のITハードウエア向けPLIスキームを活用し、ノートPCなどの生産をインドで開始・拡大する計画を申請している。同スキームの予算規模は1700億ルピー(約2700億円)で、40社近くが申請したとインド政府は2023年8月に発表した。こうした生産移管は、半導体後工程(ATMP)の需要をインド国内で創出する。マイクロンの進出は、まさにこの需要を見越した動きであり、今後DRAMやNANDを搭載するスマートフォンやPCの最終組立がインド国内で完結する体制が整いつつあることを示唆している。ただし、移転しているのは主に労働集約的な組立工程であり、半導体製造の中核である前工程(リソグラフィ、成膜、エッチングなど)や、高度な技術を要する基幹部品の生産は、依然として台湾や韓国、日本に依存しているのが実情だ。
残る課題、インフラと人材の壁
インドの躍進には期待が集まる一方、半導体のような高度な産業基盤を構築するには、克服すべき課題が山積している。最大のアキレス腱は、不安定なインフラだ。半導体工場は1ナノ秒の電圧降下も許されないほど安定した電力供給を要するが、インドでは依然として計画停電や突発的な電力不足が頻発している。超純水の安定確保も不可欠だが、水資源の管理と供給網は脆弱だ。国際エネルギー機関(IEA)の2022年の報告では、インドの送配電損失率は約20%に達し、先進国の数倍高い水準にある。物流網の未整備も深刻な問題で、港湾から内陸の工場への部品輸送には予測不能な遅延が伴う。第二に、高度技術人材の不足が挙げられる。インドは世界有数のIT技術者を輩出しているが、その多くはソフトウエア開発人材だ。半導体の製造プロセスを理解し、クリーンルームで精密装置を操作・維持管理できる経験豊富なエンジニアや技術者は極めて少ない。マイクロンのような企業は、海外から専門家を派遣し、現地で数年がかりの人材育成を行う必要がある。第三に、複雑な官僚制度と法規制の問題がある。モディ政権下で許認可プロセスは改善されたものの、州ごとに異なる規制や税制、労働法への対応は、外資企業にとって依然として大きな負担となっている。2023年に鴻海とヴェダンタの195億ドル規模の半導体合弁計画が破談した背景にも、政府の補助金承認の遅れや、技術パートナーの確保の難航があったと指摘されている。これらの課題は、インドが単なる組立拠点から、真の半導体製造大国へと飛躍するための高い障壁として横たわっている。
日本企業が直面する選択
中印を軸とするサプライチェーンの地殻変動は、半導体製造装置と素材で世界的に高いシェアを占める日本企業に、新たな事業機会と同時に複雑な戦略判断を突きつけている。シリコンウエハーで世界シェア約6割を握る信越化学工業とSUMCO、EUV(極端紫外線)リソグラフィ用フォトレジストで市場を寡占するJSRや東京応化工業、製造装置で世界トップクラスの東京エレクトロンやSCREENホールディングス、ディスコといった企業群にとって、インドは巨大な潜在市場だ。マイクロンの後工程工場稼働や、今後設立が見込まれる前工程工場は、日本製装置・材料の新たな需要先となる。特に、インドが当面注力すると見られる28ナノメートル以上の成熟・汎用プロセスでは、日本企業が長年の実績と高い信頼性を持つ製品群を多数有しており、参入の好機と言える。しかし、この選択は単純ではない。中国は依然として世界最大の半導体市場であり、日本企業にとって最大の収益源の一つでもある。経済産業省の2023年の統計によれば、日本の半導体製造装置の輸出額のうち、中国向けが約4割を占める。インドへの傾斜を強めることは、中国政府や現地顧客との関係を損なうリスクをはらむ。米国の対中規制は先端分野に限定されており、成熟プロセス向けのビジネスは継続しているため、多くの日本企業は米中双方の顔色をうかがいながら、難しいかじ取りを迫られているのが現実だ。インド市場のインフラや人材の未整備という事業リスクを勘案すれば、全面的な投資には慎重にならざるを得ない。結果として、多くの企業は当面、中国での既存事業を維持しつつ、インドには販売・サービス拠点を設けるなど、段階的かつ限定的な関与に留める可能性が高い。中印の対立と協調の振幅を見極めながら、地政学リスクを分散させるための次の一手を、各社が模索している。