印中の地政学的対立が、半導体供給網の再編を加速させている。インド政府が巨額補助金で後押しするタタ・グループの大型工場計画は、中国が得意とする成熟プロセス半導体市場での直接対決を意味する。米国の対中規制を追い風に、インドは「信頼できる供給元」としての地位を確立できるか。歴史的対立を背景に、技術覇権を巡る両国の競争は新たな段階に入った。日本の半導体製造装置・材料メーカーは、米中印が織りなす複雑な地政学の狭間で、新たな戦略判断を迫られている。
印中「国境」から「半導体」へ、対立の新局面
インドと中国の対立軸が、長年の国境問題から先端技術の主導権争いへと鮮明に移行している。2020年6月に北部ラダック地方のガルワン渓谷で両国軍が衝突し、双方に死者が出た事件を転機に、インドの対中政策は経済・技術領域での分離を志向し始めた。インド電子・情報技術省は2020年以降、安全保障上の懸念を理由にTikTokやWeChatなど中国製アプリケーション計224件の使用を段階的に禁止。外国からの直接投資(FDI)に関しても、国境を接する国からの投資には政府の事前承認を義務付ける規則を導入し、事実上、中国資本の流入に厳しい審査の目を光らせる。こうした動きの根底には、巨大な対中貿易赤字に対する産業界の危機感がある。中国税関総署が公表した2023年の統計によれば、印中間の貿易総額は1362億ドルに達する一方、インド側の貿易赤字は約1000億ドルに膨らんだ。電子機器やその部品の輸入依存が赤字の主因であり、この経済的な不均衡の是正が、モディ政権下で推進される「メイク・イン・インディア(インド製造業振興策)」の核心的課題となっている。半導体国産化は、単なる産業政策にとどまらず、経済安全保障と対中対抗戦略が一体となった国家的な大事業と位置づけられる。
なぜインドは28nmプロセスに注力するのか
インドの半導体戦略が、最先端ではなく28ナノメートル(nm)プロセスに焦点を合わせているのは、技術的・市場的に合理的な判断に基づく。28nmは、回路線幅が10nmを下回る先端品ではないが、自動車、産業用センサー、IoT(モノのインターネット)機器、通信モジュールなど、現代の電子機器に不可欠な半導体の多くをカバーする。性能と製造費用の均衡点にあり、多様なアナログ回路とデジタル回路を一つのチップに集積しやすい「スイートスポット」とされる技術だ。この領域でインドが中核と位置づけるのが、国内最大の財閥タタ・グループ傘下のタタ・エレクトロニクスと、台湾のファウンドリ(半導体受託製造)大手、力晶積成電子製造(PSMC)の技術提携である。計画では、グジャラート州ドレラに総額9100億ルピー(約1.7兆円)を投じてファウンドリを建設し、2026年末までに月産5万枚(300mmウエハー換算)の生産能力を目指す。これは、米国の対中規制が先端プロセス(14nm以下)に集中し、規制対象外の成熟プロセス市場でシェアを伸ばす中国のSMIC(中芯国際集成電路製造)や華虹半導体(Hua Hong Semiconductor)と、真っ向から競合することを意味する。TrendForceの2023年調査では、世界の28nmファウンドリ市場において台湾TSMCが依然として首位を維持するものの、SMICが価格競争力を武器に急速にシェアを拡大している。インドは米国の「チャイナ・プラスワン」戦略の受け皿となり、地政学リスクを避けたい世界の顧客を取り込む狙いだ。
1.2兆円「インド半導体構想」の現実味
総額7600億ルピー(約1.2兆円)の政府予算を計上した「インド・セミコンダクター・ミッション(ISM)」は、過去の失敗を乗り越え、半導体生態系の構築を目指す壮大な計画だ。その成否は、単独の工場誘致にとどまらず、製造工程全体を支える供給網を国内に築けるかに懸かっている。タタ・グループはドレラのファウンドリ(前工程)計画と並行し、アッサム州モリガオンに2700億ルピー(約5100億円)を投じて半導体の組み立て・検査を行う後工程(OSAT)施設を建設する。前工程と後工程を同時に立ち上げることで、国内での一貫生産体制の基盤を築く構えだ。しかし、課題は山積している。半導体製造に不可欠な安定した電力供給、大量の超純水、そして何よりも熟練した技術者と作業員の確保は、インドの産業インフラにとって長年の課題である。実際、2014年前後に計画された複数の大型ファウンドリ構想は、資金調達やインフラの問題で頓挫した経緯がある。今回の計画が過去と異なるのは、強力な地政学的追い風だ。米国のマイクロン・テクノロジーが、インド政府から投資額の50%に相当する補助金を得て、グジャラート州サナンドに総額27.5億ドルの後工程工場を建設中であることが、その象徴である。米国の有力企業が参入することで、他の関連企業の進出を促し、生態系全体の形成が加速するとの期待が高まる。業界団体SEMIは、インドの半導体市場規模が2026年に640億ドルに達すると予測するが、現状ではその大半を輸入に依存しており、国産化への道のりは依然として長い。
日本の装置・材料メーカーが探る商機
インドで立ち上がる巨大な半導体製造拠点は、日本の装置・材料メーカーにとって、数十億ドル規模の新たな商機をもたらす。東京エレクトロンの成膜・エッチング装置、SCREENホールディングスの洗浄装置、ディスコの切断・研削装置、アドバンテストの検査装置は、いずれも世界で高いシェアを誇る。また、フォトレジスト(感光材)ではJSRや信越化学工業、シリコンウエハーでは信越化学工業とSUMCOが世界市場を寡占しており、インドの新工場が稼働するには、これらの日本企業の製品供給が不可欠となる。すでに水面下では、タタやマイクロンと日本企業との間で、装置の納入や材料供給に関する交渉が進んでいるとみられる。しかし、この商機は単純なものではない。日本企業は、既存の主要顧客である中国の半導体メーカーとの関係を維持しながら、インドという新たな市場にどう関与するかの難しい舵取りを迫られる。特にSMICなど中国の成熟プロセス向けファウンドリは、日本メーカーにとって大きな収益源である。東京エレクトロンの2024年3月期決算における地域別売上高では、中国向けが前期比82%増の1兆36億円と、全体の44.5%を占め過去最高を記録した。インド市場への本格参入が、中国側から「対中包囲網への加担」と見なされ、取引に影響が及ぶリスクを経営陣は慎重に評価している。米国の輸出管理規則(EAR)を遵守しつつ、地政学的な緊張の高まりを回避し、収益機会を最大化するという複雑な方程式を解くことが求められる。
日本企業が直面する二正面作戦
インドの半導体国産化は、日本の産業界にとって、米中対立の構造から生まれた新たな変数である。それは単なる市場機会の拡大ではなく、供給網における自社の位置づけを再定義するよう迫る地政学的な挑戦状に他ならない。日本政府は、日米豪印の戦略的枠組み「クアッド」を通じてインドとの協力を深め、半導体供給網の強靭化を共同で目指す姿勢を明確にしている。経済産業省とインド電子・情報技術省は2023年7月、半導体協力に関する覚書を締結し、設計・製造・研究開発での連携を確認した。この政府間の枠組みは、日本企業がインドで事業を展開する上での追い風となる。しかし、企業戦略は政府の外交方針と必ずしも一致しない。前述の通り、中国市場は依然として日本企業にとって最大の収益源の一つであり、この巨大市場を無視することは現実的ではない。結果として、日本の装置・材料メーカーは、米国主導の規制を遵守しインドとの連携を深める「表の顔」と、中国の既存顧客とのビジネスを維持・拡大しようとする「裏の顔」を使い分ける、いわば「二正面作戦」を強いられることになる。この複雑な状況下で求められるのは、技術的優位性の維持と、地政学リスクを精密に分析する情報収集能力だ。特定の中核部品や材料において、日本企業が代替不可能な地位を保ち続けることができれば、米中印いずれの陣営からも必要とされ、交渉力を維持できる。印中の技術覇権争いは、日本の基盤技術の価値を改めて浮き彫りにしているとも言えるだろう。
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