中国の全国人民代表大会(全人代)で審議される一連の法改正は、半導体材料の国内供給網構築を加速させる経済安全保障政策の側面を強めている。特に「危険化学品安全法」の改正は、日本の素材メーカーが世界市場で約9割の供給を担うEUV用フォトレジストや高純度フッ化水素の現地生産、技術管理に直接的な影響を及ぼす。米国の輸出規制に対抗し、2026年から始まる次期5カ年計画で先端半導体の国内自給率向上を目指す中国政府の意思が透ける。この動きは、東京エレクトロンやSCREENなど日本の装置メーカーを含めたサプライチェーン全体に、事業戦略の再考を迫るものだ。

法改正に透ける供給網の内製化

中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会が審議を進める法案群は、環境保護や産業安全という表層的な目的の裏で、半導体サプライチェーンの自給体制構築という国家戦略を色濃く反映している。今回、重点的に審議された「生態環境法典」草案や「危険化学品安全法」草案は、その核心部分をなす。これらの法改正は、半導体製造に不可欠な高純度化学物質の国内生産、流通、使用に関する規制を一元化し、管理を強化する狙いがあると見られる。例えば、高純度フッ化水素やフォトレジスト用ポリマーは、製造工程で厳格な環境・安全管理が求められる。法規制の強化は、外資系企業に対する参入障壁を高める一方で、政府の支援を受ける国内企業にとっては追い風となり得る。中国石油・化学工業連合会が2023年12月に発表した報告によれば、中国の半導体用化学材料の国内自給率は2023年時点で平均35%にとどまるが、政府は特定重要品目において2027年までにこれを70%へ引き上げる非公式目標を掲げているとされる。この目標達成の法的根拠として、今回の法整備が機能する可能性は高い。さらに「対外貿易法」の修正も議題に上がっており、これは2023年8月に発動されたガリウム・ゲルマニウムの輸出規制のように、特定物資の輸出入を国家安全保障上の理由で管理する権限を強化するものだ。一連の法改正は、米国の広範な対中半導体輸出規制への対抗措置として、国内の技術基盤を固め、同時に国外への供給を戦略的に統制する「二正面作戦」の法的基盤を整備する動きと解釈できる。

新・危険化学品安全法は日本の牙城を崩すか

今回の法改正で日本企業への影響が最も懸念されるのが「危険化学品安全法」の動向だ。半導体製造、特に微細化の鍵を握る先端材料分野は、日本企業が圧倒的な競争力を維持してきた領域である。例えば、最先端のEUV(極端紫外線)リソグラフィー工程で不可欠なフォトレジスト(感光材)は、JSR、信越化学工業、東京応化工業、富士フイルムの4社で世界市場の約9割を占める。また、半導体ウエハーの洗浄やエッチングに使われる純度99.9999999999%(トゥエルブナイン)級の高純度フッ化水素も、ステラケミファや森田化学工業が世界供給の約7割を担う。新法がこれらの化学物質の中国国内での製造、保管、輸送に関する基準を厳格化すれば、日本からの輸出や中国現地法人での生産活動に新たな許認可や設備投資が必要となる可能性がある。これは事実上、日本企業に対し、より深いレベルでの現地生産化や、中国企業との合弁、さらには技術情報の開示を求める圧力として機能しかねない。中国国内では、半導体材料の国産化を目指す企業が政府の強力な後押しを受けて急成長している。例えば、フッ化水素では巨化股份(Juhua Group)、フォトレジストでは北京科華微電子材料(Kempur)などが生産能力を急速に拡大している。TrendForceの2024年3月の調査によれば、中国のフォトレジスト市場における国産品の割合は、汎用的なKrF用でこそ40%に達したが、先端ArF液浸用では5%未満に過ぎない。品質や安定供給の面では依然として日本製品に分があるものの、中国政府はこうした国内企業を育成するため、法規制を「保護の盾」として活用する戦略を描いていると見られる。

2026年計画が狙う「デカップリング耐性」

全人代常務委員会が承認した「2026年度重点業務計画」は、2026年から始まる第15次5カ年計画の布石と見なすのが妥当だ。米国の技術覇権に対抗し、経済の「デカップリング(切り離し)」に耐えうる強靭な国内経済圏の確立が、習近平指導部の最優先課題となっている。その中核が、半導体の国内における設計から製造、材料、装置までの一貫した供給網の完成だ。SEMI(国際半導体製造装置材料協会)の2024年5月の予測では、中国は2024年から2026年にかけて世界最大の半導体製造装置市場であり続け、3年間の累計投資額は1,100億ドルを超えるとされる。この巨額投資の受け皿として、SMIC中芯国際集成電路製造)や長江存儲科技(YMTC)といった国内の半導体メーカーが生産能力を増強している。しかし、これらの工場が稼働するには、安定した品質の化学材料やシリコンウエハーが不可欠だ。現在、シリコンウエハーは日本の信越化学工業とSUMCOが世界市場の約6割を供給しており、中国の依存度は高い。2026年計画とそれに連動する法整備は、こうした「最後のボトルネック」とも言える素材分野の海外依存から脱却し、サプライチェーンの脆弱性を克服することを目的としている。具体的には、国内材料メーカーへの補助金投入、税制優遇に加え、今回の法改正を通じて外資系企業が持つ品質管理や安全基準のノウハウを国内基準に組み込み、国内全体の技術水準を底上げする狙いがうかがえる。これは、単なる模倣や代替生産を超え、サプライチェーン全体の品質保証体制を国内で完結させるという、より高度な産業政策の一環である。

装置・素材で試される日本の立ち位置

中国の一連の動きは、半導体製造装置と素材という、日本が強みを持つ二つの領域で事業戦略の再考を迫っている。製造装置分野では、東京エレクトロン(TEL)、SCREENホールディングス、ディスコといった企業が、洗浄、塗布・現像、研削といった重要工程で8割以上の世界市場を占める。米国による先端半導体製造装置の輸出規制は、これらの日本企業にも適用されている。しかし、中国は規制対象外である28ナノメートル以上の成熟世代半導体の生産能力を爆発的に拡大しており、結果として日本製の成熟世代向け装置の販売は好調を維持してきた。TELの2024年3月期決算では、売上高に占める中国向け比率は前年度の24%から47%へと倍増した。この「成熟世代特需」が今後も続くかは不透明だ。中国国内で北方華創科技集団(NAURA)などの国産装置メーカーが急速に技術力を高めており、いずれは成熟世代向け市場でも日本企業との競合が激化するのは避けられない。素材分野では、前述の化学材料に加え、CMP(化学機械研磨)スラリーや封止材、セラミック部品など、日本企業が寡占的な地位を占めるニッチな市場が数多く存在する。中国の法改正は、これらの分野においても現地生産や合弁を促す圧力となり、技術流出のリスクを高める。日本企業は、短期的な収益機会と、長期的な技術優位性の維持という二律背反の課題に直面している。中国市場での事業を継続するならば、どの技術を現地で開示し、どの核心技術を国内に留保するのか。あるいは、中国以外の市場(インドや東南アジアなど)へ生産拠点や供給網を分散させるのか。その判断は、もはや一企業の経営判断を超え、日本の経済安全保障そのものを左右する重い意味を持つ。

日本企業が直面する選択

中国の法制度整備は、予測可能性を高めビジネスリスクを低減させるという建前とは裏腹に、その運用次第で外資系企業、特に技術的優位性を持つ日本企業にとって非関税障壁として機能するリスクをはらむ。生態環境法典や危険化学品安全法が定める基準が、国際標準から乖離した中国独自の規格となれば、日本企業は対応のために新たな研究開発や設備投資を強いられる。これは実質的なコスト増となり、価格競争力で勝る中国国内企業を利することになる。一方で、この動きは日本の先端技術にとって新たな商機を生む可能性も秘めている。例えば、厳格化される環境基準を満たすための排水処理技術や、高効率な省エネルギー設備、あるいは化学物質の精密な分析・測定装置など、日本の技術力が生かせる分野は多い。重要なのは、中国の政策意図を正確に読み解き、単なる規制強化として受け身で対応するのではなく、自社の技術ポートフォリオの中で何が新たな付加価値となりうるかを見極める戦略的な視点だ。米中対立の狭間で、日本企業は中国市場との関わり方について根本的な問いを突きつけられている。先端技術分野でのデカップリングが進む中、成熟分野での協業を続けるのか。あるいは、技術流出のリスクを回避するため、段階的な撤退や供給網の再編(デリスキング)を加速させるのか。どちらの道を選ぶにせよ、その判断の根拠となるのは、中国の法改正や産業政策といった表層的な情報だけでなく、その背後にある国家としての長期的な意思と、自社の揺るぎない技術的核(コアコンピタンス)の冷静な分析であろう。もはや「中国リスク」と「中国チャンス」を天秤にかける悠長な時代は終わり、自社の存続をかけた厳しい選択が始まっている。.