米国による先端半導体規制下で、中国のGPU(画像処理半導体)設計企業、摩爾線程(ムーアスレッズ)がAI向け製品の開発を加速している。同社の主力製品「MTT S5000」は、米NVIDIAの旧世代主力品に迫る演算性能を持つとされ、国内のデータセンターなどで採用が広がる。2020年創業の若い企業が、なぜ米国の技術包囲網をかい潜り、高性能半導体を市場投入できたのか。張建中最高経営責任者(CEO)の下、米国の技術を回避しながら独自の生態系を築く戦略の核心と、それを支える国内製造基盤の実力を探る。
米規制の性能上限を突く製品戦略
摩爾線程の躍進は、米国の輸出規制を巧みに利用した製品戦略に根差している。米商務省産業安全保障局(BIS)が2022年10月に導入した規制は、NVIDIAのAI向けGPU「A100」などを事実上の禁輸対象とした。この規制は、半導体の演算性能とチップ間通信速度の二つの指標で上限を設けている。摩爾線程の「MTT S5000」は、この規制上限をわずかに下回る仕様で設計されたと見られる。具体的には、MTT S5000の単精度浮動小数点(FP32)演算性能は15.2テラFLOPS(毎秒15.2兆回の浮動小数点演算)であり、NVIDIA A100の19.5テラFLOPSの約78%に相当する。この性能は、米国の規制基準を意図的に回避しつつ、中国国内市場の需要を満たすための現実的な落としどころと言える。実際に、中国国内のクラウド事業者や研究機関は、NVIDIA製品の代替としてMTT S5000の評価を進めている。同社は2025年の売上目標として15億元(約300億円)を掲げており、この目標達成は国内での代替需要の取り込みが鍵を握る。TrendForceの2023年12月の調査によれば、米規制により中国のAIサーバー市場におけるNVIDIAの占有率は80%台から低下が見込まれ、国産GPUには大きな商機が生まれている。
設計能力の源泉はどこにあるのか?
創業からわずか数年で高性能GPUを設計できた背景には、NVIDIA出身者を中心とする経験豊富な技術者集団の存在がある。創業者でCEOの張建中氏は、NVIDIAに15年間在籍し、中国事業を統括した経歴を持つ。同氏の人脈を通じて、NVIDIAや米AMDなどからGPU設計の知見を持つ技術者が摩爾線程に合流したと見られる。同社が開発した独自アーキテクチャー「MUSA(Moore Threads Unified System Architecture)」は、NVIDIAの並列コンピューティング基盤「CUDA」との完全な互換性はない。これは、特許侵害のリスクを回避するための戦略的判断だろう。その代わり、同社はCUDAで書かれた既存のプログラムをMUSA向けに変換するソフトウェア移行ツール「MUSIFY」を提供。これにより、利用者が蓄積してきたソフトウェア資産を比較的容易に移行できるようにし、乗り換えの障壁を下げている。ハードウェアの性能で劣る部分を、ソフトウェアの利便性で補う戦略だ。この手法は、過去にAMDが自社GPU基盤「ROCm」でCUDAからの移行を促した戦略と類似しているが、摩爾線程は中国市場という閉じた環境で、より集中的にこの戦略を展開できる強みを持つ。中国の特許情報データベースによれば、摩爾線程は2021年から2023年にかけてGPUアーキテクチャー関連で200件以上の特許を出願しており、独自の技術基盤構築を急いでいることがうかがえる。
7nm級工程、SMICが供給か
MTT S5000の高性能を実現するもう一つの鍵は、その製造を担う半導体受託製造(ファウンドリー)だ。摩爾線程は製造委託先を公式に明らかにしていないが、業界では中国最大手のSMIC(中芯国際集成電路製造)が7nm(ナノメートル)級の先端プロセスで製造しているとの見方が有力だ。カナダの調査会社TechInsightsが2022年7月に、SMICが既に7nmプロセス技術を確立し、暗号資産の採掘用半導体を量産していたことを分解調査で明らかにしている。この技術を応用し、より大規模で複雑なGPUであるMTT S5000を製造している可能性が高い。SMICの7nm級プロセスは、台湾積体電路製造(TSMC)の同世代プロセスと比較して、性能や歩留まりで劣るとされる。しかし、米国の規制によってTSMCなど海外の先端ファウンドリーの利用が絶たれた中国企業にとって、SMICは唯一の選択肢だ。SMIC自身も米国の輸出規制対象であり、先端製造に不可欠なEUV(極端紫外線)露光装置の導入ができない。そのため、旧世代のDUV(深紫外線)露光装置を複数回使用する「マルチパターニング」という複雑な技術で7nm級の微細化を実現している。この手法は製造コストを押し上げ、生産効率を低下させる要因となるが、国内で先端半導体を確保するという国家的要請に応える形となっている。SMICの2023年通期決算報告によれば、設備投資額は前年比6.3%増の74.7億ドルに達しており、DUV装置への投資を継続し生産能力を増強していることが示されている。
米国技術を回避する国内供給網の課題
摩爾線程の挑戦は、GPUチップ単体の設計・製造にとどまらない。高性能コンピューティングを実現するには、チップを実装する基板や高速メモリーなど、周辺部品を含めた供給網全体の構築が不可欠だ。特に、AI向けGPUで標準的に使われる広帯域メモリー(HBM)は、韓国のSKハイニックスとサムスン電子が世界市場の約9割を占める(Omdia、2023年調査)。これらの企業は米国の同盟国の企業であり、中国の先端AI開発を支えることには慎重だ。そのため、摩爾線程をはじめとする中国企業は、長鑫存儲技術(CXMT)など国内メモリー企業によるHBMの国産化を待つ状況にある。MTT S5000がHBMではなく、より汎用的なGDDR6メモリーを採用しているのは、こうした供給網の制約を反映した結果と言える。GDDR6のメモリー帯域は716.8GB/sと、NVIDIA A100が搭載するHBM2eの2TB/s超に比べて大幅に劣り、これが実効性能の足かせとなっている。同様の課題は、チップの性能を最大限に引き出すための高度なパッケージング技術(チップレットを三次元に積層する技術など)にも存在する。江蘇長電科技(JCET)などが技術開発を進めるが、TSMCなどが持つ最先端技術にはまだ及ばない。米国とその同盟国が管理する技術を完全に排除した「純国産」の供給網構築は、依然として多くの課題を抱えている。
日本企業が直面する選択
摩爾線程の台頭とそれを支える中国の半導体国産化の動きは、日本の素材・装置メーカーに複雑な選択を迫る。SMICが7nm級の製造をDUV露光装置で実現している背景には、東京エレクトロンの塗布現像装置(コータ・デベロッパ)やディスコの研削・切断装置(ダイサ・グラインダ)など、日本企業が世界で高い占有率を持つ装置の存在が不可欠だ。これらの装置の多くは、現行の米国の輸出規制の直接的な対象ではない。しかし、米国は規制の範囲を汎用的な装置にまで拡大するよう、日本やオランダに圧力を強めている。経済産業省が2023年7月に施行した先端半導体製造装置の輸出管理強化は、この流れに沿ったものだ。一方で、中国は日本の半導体装置メーカーにとって最大の市場であり続けている。SEMI(国際半導体製造装置材料協会)の2024年3月の統計によれば、2023年の中国向け半導体製造装置の販売額は前年比29%増の366億ドルに達し、世界市場の3分の1を占めた。米国の規制強化と、巨大市場からの収益確保という二つの要求の間で、日本企業は難しい舵取りを要求される。摩爾線程のような中国の新興企業が顧客として存在感を増す中で、どの技術をどこまで提供するのか。その判断が、企業の将来だけでなく、世界の半導体供給網の勢力図をも左右する局面に入っている。