中国が独自の宇宙ステーション「天宮」の拡張と、2030年までの有人月面着陸計画を本格化させている。これは単なる国家威信の表明に留まらない。測位衛星システム「北斗」が形成する巨大な経済圏や、将来の月資源利用を見据えた動きは、技術覇権と経済安全保障を巡る米中競争の新たな主戦場としての性格を鮮明にしている。国際宇宙ステーション(ISS)が退役する2030年以降の宇宙秩序を睨み、米国主導の枠組み「アルテミス合意」と対峙する独自の宇宙開発路線は、関連部品や素材を供給する日本企業にも、地政学的な選択を迫るものだ。
「天宮」拡張、ISS後の宇宙秩序を狙う
中国が独自に建設した宇宙ステーション「天宮」が、2026年にも拡張段階に入る。現在の「天和」コアモジュールと「問天」「夢天」実験モジュールの3区画構成から、新たに3区画を増設し6区画体制へと移行する計画だ。これにより内部空間と搭載可能な実験装置の規模は倍増し、滞在する宇宙飛行士も常時3人から6人へと増員が可能になる。この動きの背景には、米国や日本などが参加する国際宇宙ステーション(ISS)が2030年末に運用を終了する予定であることが大きい。中国はISS計画から事実上排除されてきた経緯があり、ISS退役後の10年間で「天宮」を地球低軌道で活動する唯一の政府運営ステーションとして、国際的な宇宙活動の拠点に据える戦略を描く。中国有人宇宙プロジェクト弁公室はすでに国連宇宙局(UNOOSA)と連携し、17カ国から9件の科学実験プロジェクトを採択。欧州宇宙機関(ESA)の宇宙飛行士も「天宮」での活動に向けた訓練に参加するなど、米国主導の枠組みとは一線を画した国際協力を進めている。米国会計検査院(GAO)の2023年報告によれば、ISSに対する米航空宇宙局(NASA)の年間負担額は約30億ドルに上る。中国は「天宮」の総建設費を公開していないが、海外のアナリストは100億ドル規模と推計しており、国家主導による長期安定的な投資がその活動を支えている。今後は、民間企業が独自の区画を接続する商業利用も視野に入れており、宇宙空間での主導権確保に向けた布石を着々と打っている。
なぜ中国は有人月探査を急ぐのか?
中国の宇宙開発におけるもう一つの柱が、2030年までの達成を目標に掲げる有人月面着陸だ。これは、NASAが主導し日本も参加する「アルテミス計画」と正面から競合する。中国の月探査計画「嫦娥」は、2020年に探査機「嫦娥5号」が月の土壌1731グラムを地球に持ち帰るサンプルリターンに成功。2024年には月の裏側から世界初となるサンプルリターンを目指す「嫦娥6号」を打ち上げるなど、着実な実績を積み重ねてきた。有人探査では、次世代の大型ロケット「長征10号」や有人宇宙船「夢舟」、月面着陸機「攬月」の開発が急ピッチで進む。中国が月を目指す動機は、科学的探求や国威発揚だけではない。月面に豊富に存在するとされる水氷や、核融合発電の燃料として期待されるヘリウム3といった資源の将来的な利用権確保という、経済安全保障上の狙いが色濃い。NASA監察総監室が2021年に公表した報告書では、アルテミス計画の費用は2025年までに930億ドルに達すると試算されており、米中双方による巨額の投資競争の様相を呈している。さらに中国は、ロシアなどと協力して月面に「国際月面研究ステーション(ILRS)」を建設する構想を掲げ、ベネズエラやパキスタン、南アフリカなどが参加を表明。宇宙空間の利用ルール策定を巡り、2024年5月時点で42カ国が署名する米国主導の「アルテミス合意」に対抗する枠組みを形成し、地政学的な対立は月面にまで拡大しつつある。
「北斗」が築く静かなるデジタル経済圏
宇宙開発の軍事的・経済的実利を最も体現しているのが、中国版の全球測位衛星システム(GNSS)である「北斗」だ。2020年に全55基の衛星網が完成した「北斗3号」システムは、米国のGPSに依存しない独自の測位・航法・時刻同期(PNT)基盤を確立した。その性能は一部でGPSを凌駕する。中国衛星測位航法協会が2023年5月に発表した白書によると、中国国内の衛星測位産業の市場規模は2022年に5007億元(約10兆円)に達し、前年比6.77%増と着実な成長を続ける。特筆すべきは、北斗が単なる位置情報提供システムに留まらない点だ。衛星には双方向のショートメッセージ通信機能が組み込まれており、地上の通信網が途絶した災害時や海洋での活用が進む。さらに「一帯一路」構想と連動し、パキスタンやタイ、インドネシアなど30カ国以上で交通管理、精密農業、インフラ監視などの基幹システムとして採用されている。これは事実上、中国を基点とするデジタル経済圏の拡大を意味する。米中経済安全保障調査委員会(USCC)は2022年の年次報告書で、北斗の普及がもたらす安全保障上のリスクに警鐘を鳴らした。北斗に依存する国家や産業が増えれば、有事の際に中国が意図的にサービスの精度を低下させたり、停止させたりすることで、他国の社会経済活動に深刻な影響を及ぼす可能性があるためだ。静かに、しかし確実に進む北斗の浸透は、目に見えにくい形での地政学的勢力図の変化を促している。
宇宙産業を支える半導体と素材の供給網
壮大な宇宙計画を根底で支えるのは、極限環境に耐える高性能な半導体と先端材料だ。宇宙空間は、地上とは比較にならない強烈な放射線(宇宙線)と、マイナス100度以下の極低温から100度以上の高温が繰り返される過酷な環境にある。ここで使用される半導体には、放射線の影響による誤作動や劣化を防ぐ「耐放射線性(ラッドハード)」が不可欠だ。この分野では、米国のBAEシステムズやルネサスエレクトロニクスの子会社であるインターシルなどが高い技術力を持つ。中国はこうした先端的な宇宙用半導体の国産化を国家目標に掲げ、研究開発を加速させている。中国電子科技集団(CETC)傘下の研究所などが開発を主導するが、その製造プロセスには日本の技術が間接的に関わっている。例えば、半導体の電子回路を形成するフォトリソグラフィ工程で不可欠なフォトレジスト(感光材)では、JSRや信越化学工業、東京応化工業といった日本企業が世界市場で約9割のシェアを握る。また、半導体の基板となるシリコンウエハーでも信越化学とSUMCOが世界シェアの約6割を占める。これらの素材や、製造装置に使われる特殊部品が、最終的に中国の宇宙開発用半導体のサプライチェーンに組み込まれている可能性は否定できない。米国の対中半導体輸出規制は、主に先端ロジック半導体を対象としているが、宇宙・防衛用途の特殊半導体へと規制範囲が拡大すれば、日本の素材・装置メーカーはより直接的な影響を受けることになる。
日本企業が直面する選択
中国の宇宙開発が軍民融合、つまり軍事技術と民生技術の境界なく一体で推進されている事実は、日本企業にとって複雑な問題を提起する。経済産業省が定める外国為替及び外国貿易法(外為法)では、輸出する製品や技術が軍事転用される恐れがある場合、厳格な許可審査が求められる。宇宙開発は、ミサイル技術に直結するロケットや、偵察能力に関わる衛星技術を含むため、多くの先端技術が規制対象となり得る。一方で、中国は巨大な民生市場でもある。前述の北斗システム関連だけでも年10兆円規模の市場が形成されており、その応用製品に搭載される電子部品や素材の需要は大きい。日本企業は、米国のアルテミス計画に参加し、NASAの基準に準拠した部品供給で商機を探る道と、中国の巨大な宇宙経済圏との関わりを模索する道との間で、難しい舵取りを迫られている。2022年に米国が発動した先端半導体に関する対中輸出規制のように、宇宙分野においても技術のデカップリング(分断)が進行すれば、サプライチェーンの見直しは不可避だ。企業は自社の技術や製品が、最終的に誰の、どのような目的の宇宙計画に使用されるのかを、これまで以上に精密に把握する必要がある。それは単なる商取引のリスク管理を超え、国際的な安全保障の枠組みの中で自社の立ち位置を決定するという、重い経営判断そのものと言えるだろう。
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