中東情勢の緊迫化を背景にニューヨーク商品取引所(COMEX)の金先物価格が史上最高値を更新する一方、世界の半導体供給網はイスラエルの設計拠点とウクライナ産の希ガス供給という二重の寸断リスクに直面している。安全資産としての金への資金流入に加え、インテルやエヌビディアが重要開発拠点を置くイスラエルの機能不全、リソグラフィー工程に必須のネオンガス供給不安が複合的に作用。これは単なる部品調達問題に留まらず、次世代半導体の開発遅延や製造コスト上昇を通じて、世界のデジタル経済基盤そのものを揺るがしかねない事態であり、日本の素材・装置産業にも対応が迫られる。
金高騰、安全資産需要と実需の交錯
金価格の上昇は、地政学リスクの高まりを映す鏡として機能している。2024年4月12日、COMEXの金先物価格は取引時間中に一時1オンス2448.8ドルまで急騰し、過去最高値を付けた。イスラエルとイランの直接的な軍事衝突への懸念が、投資資金を安全資産とされる金へ向かわせた格好だ。ワールド・ゴールド・カウンシルの2024年第1四半期報告によれば、同四半期の世界の中央銀行による金購入量は290トンに達しており、国家レベルでの資産防衛の動きが価格を下支えしている構造がうかがえる。しかし、この価格高騰は金融市場だけの話ではない。半導体産業における実需、特に後工程でのコスト増に直結する。集積回路と外部端子を接続するボンディングワイヤには、信頼性や加工性の観点から純度の高い金線が多用されてきた。近年は銅線への代替が進展しているものの、高い信頼性が求められる車載用や産業用半導体では依然として金が不可欠だ。田中貴金属工業など日本の素材メーカーが世界市場で高い占有率を持つこの分野で、原材料費の急騰は製品価格への転嫁圧力となる。金価格が10%上昇すれば、特定の半導体パッケージの材料費が1〜2%押し上げられるとの試算もあり、無視できない影響だ。
なぜイスラエルが半導体の中枢なのか?
中東紛争の半導体産業への影響を理解する上で、イスラエルが世界の技術開発地図で占める特異な位置付けの認識が不可欠である。同国は単なる製造拠点ではなく、世界の半導体大手にとって「頭脳」とも言うべき研究開発の中枢機能を担う。特に米インテルは1974年に同国初の開発センターをハイファに開設して以来、歴代の主力CPU「Core」シリーズの多くをイスラエルのチームが設計してきた。同社にとってイスラエルは米国外で最大の投資先であり、2023年12月には南部キルヤット・ガトに250億ドルを投じる新工場の建設計画を発表している。これはイスラエル史上最大の海外直接投資案件だ。同様に、画像処理半導体(GPU)世界最大手のエヌビディアも、2020年に買収したメラノックステクノロジーズを源流とする大規模な設計拠点をヨクネアムなどに構える。アップルやAMD、クアルコムといった大手も軒並み設計拠点を置き、スタートアップ集積地「シリコン・ワディ」から生まれる先端技術を取り込んできた。紛争激化による現地エンジニアの動員や電力・物流インフラの寸断は、これら企業の次世代製品開発ロードマップに直接的な遅延をもたらす。物理的な生産停止以上に、知的な生産活動の停滞が長期的な競争力を削ぐリスクとして顕在化している。
迫る「希ガス」供給不安の再燃
中東の紛争は、もう一つの地政学的火種であるウクライナ問題と連動し、半導体製造に不可欠な特殊材料の供給不安を再燃させている。半導体の回路パターンをシリコンウエハーに転写するリソグラフィー工程では、光源としてエキシマレーザーが用いられる。このレーザーを発振させるために混合されるガスの一つがネオンだ。ネオンは、大規模な製鉄所で空気を分離して鉄の生産に必要な酸素を取り出す際の副産物として工業的に生産される。歴史的に旧ソ連圏に大規模な製鉄所が集中していた経緯から、2022年の紛争開始前まで、ウクライナのインガス社とクリオイン社が世界の半導体向け高純度ネオンガスの約5割を供給していた。紛争によって両社の生産拠点が集中するマリウポリなどが甚大な被害を受け、供給は事実上停止。半導体メーカーは在庫の放出と代替調達先の確保に奔走し、一時価格は10倍以上に高騰した。その後、韓国ポスコや日本の製鉄会社による増産、他の供給源からの調達で需給は安定を取り戻しつつあった。しかし、中東情勢の緊迫化は、世界のエネルギー需給や物流網を再び不安定化させ、ただでさえ脆弱な希ガスのサプライチェーンを揺さぶる。ネオンを精製する空気分離装置(ASU)は膨大な電力を消費するため、エネルギー価格の高騰は直接的に生産コストを押し上げる。代替生産地の能力にも限界があり、紛争の長期化・広域化は、2022年以上の供給制約を引き起こしかねない。
日本の素材・装置産業への波及経路
一連の地政学リスクは、世界の半導体供給網で「黒子」として基盤を支える日本の素材・装置メーカーにとっても他人事ではない。特にリソグラフィー分野では、日本の存在感が際立つ。光源となるエキシマレーザーの世界市場はギガフォトン(コマツ子会社)とサイマー(ASML傘下)が二分する。また、ウエハーに塗布する感光材であるフォトレジストでは、JSR、東京応化工業、信越化学工業、富士フイルムの日本企業4社で最先端のEUV(極端紫外線)リソグラフィー向け市場の9割以上を握る。ネオンガスの供給が滞れば、レーザー装置の稼働率が低下し、それは巡り巡って日本のフォトレジストメーカーの販売機会の喪失につながる。EUV光源はネオンを使わないが、依然として製造ラインの大部分を占めるArF(フッ化アルゴン)やKrF(フッ化クリプトン)リソグラフィーではネオンが必須であり、サプライチェーン全体への影響は避けられない。さらに、シリコンウエハー(信越化学、SUMCOが世界シェア約6割)、高純度フッ化水素(ステラケミファ、森田化学工業)、CMPスラリー(フジミインコーポレーテッド)など、日本企業が寡占的なシェアを持つ重要部材は数多い。これらの材料は、顧客である半導体メーカーの生産計画と密接に連動しており、最終製品の需要変動だけでなく、地政学リスクに起因する操業停止や減産の影響を直接的に受ける構造となっている。
日本企業が直面する選択
地政学リスクが常態化する世界で、日本の半導体関連企業は新たな戦略的判断を迫られている。第一に、サプライチェーンの多元化と在庫水準の見直しが急務となる。特定地域に依存する原材料については、代替調達先の認定を平時から進め、輸送ルートの複線化も検討する必要がある。経済産業省が2023年5月に公表した「半導体・デジタル産業戦略」では、重要物資の国内生産基盤強化が盛り込まれたが、ネオンガスのような副生品は国内での大幅増産が難しく、国際的な連携と備蓄の組み合わせが現実的な解となる。第二に、リスクを前提とした技術開発への転換だ。例えば、ネオンガスを不要とする新しいリソグラフィー技術や、金の使用量を極限まで減らすパッケージング技術の開発は、コスト削減だけでなく地政学リスクからの解放にも繋がる。これは、日本の素材・装置メーカーが技術的な優位性を発揮できる領域でもある。最後に、情報収集・分析能力の強化が求められる。紛争地域の生産状況や物流の遅延、各国の規制動向といった情報をリアルタイムで把握し、経営判断に反映させる体制の構築は、もはや大企業だけの課題ではない。中東と東欧で同時に燃え上がる紛争の火種は、グローバルに張り巡らされた半導体供給網の脆弱性を浮き彫りにした。この複雑な連立方程式を解く能力こそが、今後の企業の競争力を左右すると見られる。