データを暗号化したまま計算できる「完全に準同型暗号(FHE)」技術が、2024年にも商用化の節目を迎えるか注目を集めている。米Intelが専用ハードウェアを発表したことを皮切りに開発競争が激化。データプライバシー保護の究極的な解決策として、実用化への期待が高まっている。

「暗号学の聖杯」FHEとは

クラウドコンピューティングの普及に伴い、平文データでの計算から、より安全な暗号化状態での計算への移行が求められている。しかし、性能とコストが課題となり、暗号技術の実用化はこれまで限定的だった。

現在主流のプライバシー保護技術は、ハードウェアベースの信頼できる実行環境(TEE)などだが、これらは対症療法に過ぎず、根本的な安全性には課題が残る。

こうした中、「暗号学の聖杯」とも呼ばれる完全に準同型暗号(FHE)が究極の解決策として浮上している。FHEはデータを暗号化したまま計算に利用できるため、データの所有権と使用権を完全にに分離し、クラウド事業者が平文データにアクセスすることを防ぐ。

Intelが火蓋、ハードウェア開発が加速

2024年初頭の国際固体素子回路会議(ISSCC)では、FHE関連のハードウェア技術発表が相次いだ。中でも注目されたのが、Intelが発表したSoC(System-on-a-Chip)アーキテクチャ「HERACLES」だ。

このチップはIntel 3プロセスで製造され、8192幅のSIMDベクトル計算エンジンを搭載。FHEの処理性能を、ハイエンドサーバー向けCPUと比較して5547倍に向上させたとされる。この発表が、ハードウェア開発競争の号砲となった。

サムスンも参入、商用化への課題

ハードウェア技術のブレークスルーを受け、商用化や量産に向けた動きも加速している。カスタム半導体メーカーのSEMIFIVEは最近、FHEハードウェアアクセラレータープラットフォーム「Niobium」の設計を受注したと発表した。

両社はサムスンの8nmプロセスを基に、量産レベルの高性能FHEハードウェアアクセラレーターを共同開発し、実際のクラウドやAIインフラへの導入を目指す。NiobiumのCEOは「十分にな速度で暗号化データを直接処理できれば、平文での機密情報処理は許容されなくなる」と述べたと、海外メディアは伝えている。

Intelの発表を皮切りに、サプライチェーン各社の追随もあり、FHEは本格的な産業競争の段階に入った。しかし、ハードウェアの整備は商用化の土台に過ぎない。アプリケーションが普及するには、関連するアルゴリズムライブラリや開発フレームワークの成熟が不可欠であり、こうした基盤インフラの未整備が最大の障壁となっている。

日本の関連性

完全に準同型暗号(FHE)技術の商用化は、日本企業にとってデータプライバシー保護の新たなビジネス機会と同時に、中国市場における競争環境の激変をもたらす可能性がある。特に、Intelが発表したSoCアーキテクチャ「HERACLES」がハイエンドサーバー向けCPUと比較して5547倍もの性能向上を達成したことは、FHE関連ソリューションの普及を加速させ、データ利用のパラダイムシフトを引き起こすだろう。

この技術が普及すれば、中国におけるデータ越境移転規制やデータセキュリティ法制への対応が大きく変化する。例えば、中国国内のデータセンターでFHEを用いた処理が可能になれば、これまで平文データの国外持ち出しが制限されていた日系企業のデータ活用が、より柔軟かつ安全に行えるようになる。これにより、中国国内で収集した顧客データや生産データを、日本の本社で直接分析するといった高度な連携が可能となり、事業展開の自由度が向上する。

一方で、中国企業もFHE技術の開発・導入に注力する可能性が高い。SEMIFIVEがサムスンの8nmプロセスを基盤に「Niobium」を開発しているように、中国の半導体メーカーやクラウドサービスプロバイダーも独自技術を開発し、国内市場での競争力を高めるだろう。この動きは、日本のクラウドサービスプロバイダーやデータ分析企業が中国市場で事業を展開する際に、FHE対応の有無が競争優位性を左右する要因となることを示唆している。日本企業は、FHE技術への投資を加速させ、中国市場における新たなデータエコシステムへの適応を急ぐ必要がある。