自動運転向け半導体を開発する中国の新興企業「階跃星辰」が、年内に香港証券取引所で約5億ドル(約780億円)規模の新規株式公開(IPO)を計画していることが分かった。米国の制裁下にあるAI大手、曠視科技(メグビー)の共同創業者が主導しており、技術覇権を巡る米中対立の狭間で、新たな資金調達経路を模索する動きが鮮明になった。吉利汽車集団との連携を軸に車載分野に特化する戦略は、米国の輸出規制が及ぶ先端領域を避けつつ、巨大な国内市場を足がかりに成長を目指す中国ハイテク産業の現実的な選択肢を示す。この動きは、半導体製造装置や素材で高い世界シェアを握る日本企業にも、間接的な影響を及ぼす可能性がある。

5億ドル調達が映す「第二戦線」

階跃星辰の香港上場計画は、単なる新興企業の資金調達にとどまらない。同社を率いる印奇会長は、中国の有力AI企業である曠視科技の共同創業者兼会長でもある。曠視科技は顔認証技術などを強みとするが、2019年に米商務省のエンティティ・リスト(禁輸措置対象リスト)に追加され、米国技術へのアクセスや米国資本市場での資金調達が事実上閉ざされた経緯がある。この制裁下にある企業のトップが、別会社を通じて香港市場から巨額の資金を吸い上げようとする構図は、米国の規制網に対抗するための「第二戦線」構築の試みと見ることができる。

香港市場の選択は戦略的だ。米ドルとのペッグ制を維持し、国際的な投資家への門戸が開かれている一方、中国政府の影響下にあるため米国の直接的な干渉を受けにくい。PwCの2024年1月の報告によれば、香港証券取引所における2023年のIPOによる資金調達額は前年比56%減の463億香港ドルと過去20年で最低水準に落ち込んだ。このような市況の悪化にもかかわらず5億ドル規模の大型上場を目指すのは、他に有効な資金調達手段が限られていることの裏返しでもある。調達資金は、競争が激化する車載半導体の研究開発や人材獲得に充てられる見込みだ。

なぜ車載半導体に活路を見出すのか?

階跃星辰が主戦場に選んだのは、自動運転やスマートコックピットを支える車載半導体だ。提携先の吉利汽車集団は、ボルボやロータスを傘下に持つ中国自動車大手であり、開発する半導体の安定した需要元となる。この垂直連携モデルは、開発リスクを低減し、市場投入までの時間を短縮する上で有利に働く。

この分野への注力は、米国の輸出規制を回避する上でも合理的だ。最先端のスマートフォン向け半導体が5ナノメートル(ナノは10億分の1)以下の微細加工技術を必要とするのに対し、車載半導体の多くは28ナノや14ナノといった「成熟プロセス」で製造される。これらの技術は、中国国内のファウンドリ(半導体受託製造)大手、中芯国際集成電路製造SMIC)などでも生産が可能であり、米国の規制による直接的な打撃を受けにくい。中国汽車工業協会が2024年1月に発表した統計では、2023年の中国国内の新エネルギー車(NEV)販売台数は前年比37.9%増の949.5万台に達した。この巨大な国内需要を背景に、階跃星辰は米国の技術的優位が及びにくい領域で確固たる事業基盤を築こうとしている。

曠視科技から受け継ぐ「AIの血脈」

階跃星辰は設立間もない企業だが、その技術的源流は曠視科技が長年培ってきた人工知能(AI)、特に画像認識技術にある。自動運転システムは、カメラやLiDAR(光による検知と測距)といったセンサーから得られる膨大な情報をリアルタイムで処理し、車両の周囲環境を正確に認識する必要がある。この中核を担うのが、AI演算に特化したNPU(Neural Processing Unit)と呼ばれる半導体回路だ。曠視科技が顔認証などで培ったアルゴリズムやAIモデルの設計思想は、階跃星辰が開発する車載SoC(System-on-a-Chip)の性能を左右する重要な資産となる。

この市場では、米国のエヌビディアが「DRIVE Orin」や次世代の「DRIVE Thor」といった製品で圧倒的な存在感を示す。例えば「DRIVE Orin」は最大で毎秒254兆回の演算(TOPS)が可能だ。階跃星辰は、こうした海外の巨人と直接競合することになる。同社は吉利汽車との共同開発を通じて、特定の車種や用途に最適化したカスタム半導体を提供することで差別化を図る戦略と見られる。TrendForceの2024年5月の調査によると、中国の車載コンピューティングSoC市場は、2027年までに149億ドル規模に成長すると予測されており、国産化への強い要請が階跃星辰のような国内企業にとって追い風となっている。

米国規制は「もぐら叩き」の様相

米政府は2022年10月、先端半導体や製造装置の対中輸出規制を大幅に強化した。しかし、階跃星辰の事例は、こうした規制が意図した通りに機能しているかという疑問を投げかける。特定の企業をエンティティ・リストに追加しても、その企業の人材や技術がスピンアウトした新会社を通じて活動を継続すれば、規制の効果は限定的になる。これは「もぐら叩き」にも似ており、米国がひとつの頭を叩けば、別の場所から新たな頭が顔を出す格好だ。

実際、中国はこうした規制への対抗策を着々と進めている。政府主導の「国家集積回路産業投資基金」(通称「大基金」)は、第3期として過去最大となる3440億元(約7.4兆円)規模の資金を組成したと2024年5月に報じられた。この資金は、SMICのような国内ファウンドリの生産能力増強や、国産の半導体製造装置・材料メーカーの育成に重点的に投じられる見込みだ。米国の規制は、短期的には中国の先端技術開発を遅らせる効果があったとしても、長期的には中国が自立したサプライチェーンを構築する強力な動機付けとなり、国家主導の巨額投資を正当化する結果を招いている側面は否定できない。

日本企業が直面する地政学リスク

一連の動きは、半導体サプライチェーンの上流に位置する日本企業にとって、新たな事業機会と地政学リスクを同時にもたらす。階跃星辰が設計した半導体を製造するSMICなどの中国ファウンドリは、依然として日本の製造装置や素材に大きく依存している。例えば、半導体の回路パターンを形成するリソグラフィー工程で不可欠なフォトレジスト(感光材)では、JSRや信越化学工業、東京応化工業といった日本企業が世界市場の約9割を占める。また、シリコンウエハーを研磨するCMP装置では荏原製作所やディスコ、洗浄装置ではSCREENホールディングスが高いシェアを握る。

中国の半導体国産化が進めば、これらの日本企業への発注は短期的には増加する可能性がある。SEMI(国際半導体製造装置材料協会)の2024年4月の統計によれば、2023年の半導体製造装置の世界販売額で中国は前年比29%増の366億ドルに達し、初めて世界最大の市場となった。しかし、その一方で、米国が対中規制をさらに強化し、日本政府に同調を求めた場合、日本企業は巨大な中国市場と、基幹技術を依存する米国との間で難しい選択を迫られることになる。階跃星辰のような企業の台頭は、米中対立が単なる国家間の競争ではなく、サプライチェーンを構成する個々の企業の経営判断にまで深く影響を及ぼす、構造的な変化であることを示している。