上海市郊外の松江区を起点とする「G60科学技術イノベーション回廊」が、米国の技術規制下で中国が半導体供給網を再構築する戦略拠点として浮上している。長江デルタ一体化戦略の一環として、中芯国際集成電路製造(SMIC)など国内大手を誘致し、2025年までに域内総生産の3分の1を戦略的新興産業が占める目標を掲げる。しかしその実態は、先端製造装置や高純度材料の多くを日本や欧州に依存しており、供給網の脆弱性も同時に露呈している。米中摩擦の最前線で進む巨大プロジェクトの現実を追う。
9都市が連携する巨大経済圏の野心
「G60回廊」は、上海市松江区から浙江省、江蘇省、安徽省にまたがる9つの都市を結ぶ広域経済圏構想だ。もとは2016年に松江区がG60高速道路沿いの産業集積をめざして提唱した地域計画だったが、2019年に国家戦略である「長江デルタ地域一体化発展計画綱要」に組み込まれ、その重要性は飛躍的に高まった。同綱要によれば、G60回廊は2025年までに研究開発費の対域内総生産(GDP)比を3.8%以上に引き上げ、戦略的新興産業の付加価値額を全体の18%に高めるという野心的な目標を掲げている。9都市のGDP合計は2023年時点で中国全体の約6.7%を占め、一つの巨大な経済実験区の様相を呈する。
この構想の中核を担うのが、半導体、人工知能(AI)、バイオ医薬、新エネルギー、先端材料といった分野の産業集積だ。特に半導体は、米国の輸出規制強化を受けて国家安全保障上の最重要課題と位置づけられている。上海市政府は2023年6月に公表した行動計画で、G60回廊を上海市が推進する集積回路産業の「一体両翼」構造の一翼と明確に定義。「東方芯港」と呼ばれる臨港新片区と連携し、設計、製造、封止・検査、装置、材料の全工程にわたる供給網の構築を急ぐ。上海市全体の集積回路産業の規模を2025年までに4000億元(約8兆円)超に拡大する計画であり、G60回廊はその成長の牽引役を期待されている。
米国規制はG60の戦略をどう変えたか?
2022年10月7日に米商務省産業安全保障局(BIS)が発表した包括的な対中半導体輸出規制は、G60回廊の戦略に決定的な影響を与えた。この規制は、16ナノメートル(nm)以下のロジック半導体、128層以上のNAND型フラッシュメモリーなどを製造可能な米国製装置や技術の輸出を原則禁止するものだ。これにより、中国企業が最先端の半導体を国内で製造する道は事実上閉ざされた。オランダのASMLが製造するEUV(極端紫外線)露光装置も、米国の圧力を受けたオランダ政府の輸出許可が下りず、中国への輸出が停止している。EUV光は波長13.5nmと短く、7nm以下の微細な回路パターンを形成するのに不可欠な技術であり、これなしに先端プロセスへの移行は不可能だ。
この結果、G60回廊に集積する半導体企業の戦略は大きく二極化した。一つは、規制対象外である28nm以上の「成熟プロセス」に注力する動きだ。自動車や産業機器、家電などに使われる半導体は多くがこの世代の技術で製造されており、市場規模は大きい。中国のファウンドリ最大手SMICや華虹集団(Hua Hong Group)は、政府からの巨額補助金を受け、成熟プロセス向け工場の生産能力を急速に拡大している。米調査会社IC Insightsの2023年報告によれば、中国のファウンドリ企業による28nm以上のウエハー生産能力は、2027年までに世界全体の3割を超える見通しだ。もう一つは、米国の技術に依存しない独自の先端プロセス開発である。ファーウェイ(華為技術)が2023年に発表したスマートフォンに搭載された7nm相当の半導体は、SMICがEUVではなく旧世代のDUV(深紫外線)露光装置を複数回使用する多重露光技術で製造したと見られる。これは歩留まり(良品率)が低く製造費用が高騰するため量産には不向きだが、米国の規制を回避する執念を示す事例となった。
SMICを支える装置・材料企業群
G60回廊の半導体産業の中核には、ファウンドリ大手のSMICと、その周辺に集積する国内の装置・材料メーカーが存在する。松江区に隣接する上海化学工業区には、半導体の回路パターンをウエハーに転写する感光材「フォトレジスト」や、製造工程で不純物を除去する高純度化学薬品の工場が集まる。しかし、その国産化率は依然として低いのが実情だ。中国半導体産業協会(CSIA)の内部資料によると、先端プロセスに不可欠なArF(フッ化アルゴン)液浸露光用のフォトレジストは、国内自給率が5%未満にとどまる。市場の9割以上はJSRや信越化学工業、東京応化工業といった日本企業が占めている。
製造装置においても同様の構図が見られる。G60回廊に拠点を置く中国の装置メーカー、例えば洗浄装置の盛美半導体(ACM Research)やエッチング装置の中微半導体設備(AMEC)は近年急速に技術力を高めている。ACM Researchの2023年通期決算では、売上高が前年比44.6%増の5億5800万ドルに達した。しかし、これらは洗浄や成膜、エッチングといった個別工程の装置であり、半導体製造の根幹である露光装置や、欠陥を検査するマスク検査装置では日米欧の企業が圧倒的なシェアを握る。特に、EUVマスクブランクスの欠陥検査装置で世界市場を独占するレーザーテックの製品は代替が利かず、中国の先端プロセス開発における大きな障壁となっている。SMICが成熟プロセスに注力せざるを得ない背景には、こうした装置・材料供給網の「チョークポイント(急所)」が海外勢、とりわけ日本企業に握られている現実がある。
日本の素材・装置が握る供給網の鍵
中国がG60回廊を核に進める半導体国産化の試みは、逆説的に日本企業の技術的優位性を浮き彫りにしている。半導体製造は500から1000に及ぶ工程の連鎖であり、一つでも代替不可能な装置や材料が欠ければ全体の生産ラインが停止する。日本企業は、この供給網の複数の段階で決定的な役割を担っている。シリコンウエハーでは信越化学工業とSUMCOが世界シェアの約6割を占める。前述のフォトレジストでは日本勢がEUV用で9割超のシェアを握る。製造装置でも、ウエハーに回路を塗布するコータ・デベロッパで東京エレクトロンが約9割、ウエハーを薄く削るダイシングソーでディスコが約7割のシェアを持つ。これらは一朝一夕に代替できる技術ではない。
経済産業省が2023年7月に施行した先端半導体製造装置の輸出管理強化は、この日本の立ち位置を明確に示した。規制対象となったのは、EUV関連装置や3次元メモリー向けのエッチング装置など23品目だ。これは米国の規制に歩調を合わせた措置であり、中国はこれに強く反発した。しかし、中国税関総署の統計によれば、2023年下半期においても日本からの半導体製造装置の輸入額は高水準で推移しており、特に規制対象外の成熟プロセス向け装置の需要が旺盛であることがうかがえる。G60回廊で進む生産能力増強が、結果的に日本の装置・材料メーカーの受注を支えるという構造が生まれている。この依存関係は、米中対立の狭間で日本が外交的な影響力を行使する上での重要な資産となり得る。
日本企業が直面する選択
G60回廊の急速な発展は、日本の半導体関連企業に複雑な選択を迫る。短期的には、中国の旺盛な設備投資は大きな事業機会だ。東京エレクトロンの2024年3月期決算では、地域別売上高で中国向けが全体の47%を占め、過去最高を記録した。米国の規制対象外である成熟プロセス向け装置の販売が好調だったためだ。中国国内の装置・材料メーカーとの合弁事業や技術供与を通じて、巨大市場での足場を固めようとする動きも見られる。
しかし、その先には二つの大きなリスクが待ち受ける。一つは、技術流出と模倣のリスクだ。中国企業はG60回廊のような拠点で技術を吸収し、いずれは日本企業が独占する市場でも競争相手となりうる。かつて液晶パネルや太陽光パネルの分野で起きた構図が、より高度な半導体材料・装置の分野で再現される可能性は否定できない。もう一つは、地政学的なリスクである。米国は同盟国に対し、対中規制のさらなる強化を求めている。日本企業が中国との取引を深めることは、米国の二次的制裁の対象となる危険性をはらむ。また、将来的に日中間の政治的緊張が高まれば、2019年の韓国向けフッ化水素輸出管理強化のように、半導体材料が外交の具として用いられる可能性も考慮せねばならない。
日本企業にとっての最適解は、単純な二者択一ではない。先端技術の流出を防ぐ厳格な管理体制を前提としつつ、汎用的な製品では中国市場での収益を確保する。そして、その収益を次世代技術の研究開発に再投資し、常に技術的優位性を維持し続けるという不断の努力が求められる。G60回廊は、脅威であると同時に、自らの競争力を測る試金石でもある。その動向を精密に分析し、したたかな戦略を練ることが不可欠だ。