テンセントのAI戦略が、米国による高性能半導体の輸出規制強化で深刻な演算能力不足に直面している。生成AI基盤「盤古大模型」の開発を支えてきた米エヌビディア製半導体の調達が事実上途絶し、代替品の性能も大幅に制限されるためだ。同社は2024年3月公表の通期決算でAI関連投資の抑制を示唆、先行するアリババ集団や字節跳動(バイトダンス)との開発競争で劣勢が濃くなっている。この演算力の制約は、テンセントの事業構造転換を遅らせるだけでなく、高性能半導体を巡る国際的な供給網に新たな緊張をもたらし、日本の関連企業にも無視できない影響を及ぼし始めている。

NVIDIA禁輸が招いた「演算力の崖」

テンセントのAI開発は、米商務省産業安全保障局(BIS)が2023年10月17日に発表した輸出管理規則の改定により、根幹から揺らいでいる。この規制は、中国向けに性能を調整したエヌビディア製AI半導体「A800」および「H800」の輸出をも禁止対象に含めた。これらは、前世代の規制対象だった「A100」「H100」の演算性能やチップ間通信速度(NVLink)に制限を加えた製品だったが、今回の措置でそれすらも入手不可能となった。テンセントは2023年初頭までにA800を大量に確保したとみられるが、TrendForceの2023年12月の分析によれば、その備蓄は2024年中に枯渇する可能性が高い。テンセントの劉熾平総裁は2024年3月の決算説明会で「我々はAI向け半導体の備蓄には満足しているが、それは世界で最も切望されているものではない」と述べ、最先端品が入手できない現状を認めた。エヌビディアが規制準拠品として新たに投入した「H20」は、H100比で浮動小数点演算性能が約7分の1にまで引き下げられているとの指摘もあり、大規模言語模型(LLM)の学習効率は大幅に低下せざるを得ない。これは、アリバババイトダンスなど、より早期に高性能半導体の備蓄を進めた競合に対し、決定的な差を生む要因となる。

なぜ自社製AI半導体は間に合わないのか

高性能半導体の調達難に対し、テンセントは自社設計のAI半導体で活路を見いだそうとしてきたが、その道のりは険しい。同社はAI推論処理向けの「Zixiao(紫霄)」や動画変換用の「Canghai(滄海)」、AI学習用の「Penglai(蓬莱)」など複数の半導体を開発している。しかし、これらは主に自社サービス内での推論処理の効率化を目的としたもので、エヌビディアのH100のような汎用的な大規模学習に耐えうる性能には達していない。台湾の市場調査会社Digitimes Researchが2024年1月に報じたところによると、テンセントのAI学習用半導体は台湾積体電路製造(TSMC)の7ナノメートル(nm)工程で製造されているとみられるが、これはTSMCが提供する最先端の3nm工程から2世代前の技術水準である。さらに、半導体設計に不可欠なEDA(電子設計自動化)ソフトウェアも、米国のシノプシス、ケイデンス・デザイン・システムズが世界市場の約7割を占有しており、米国の規制強化はこれらの利用にも影を落とす。結果として、テンセントの自社製半導体は、学習よりも推論という限られた用途での「つなぎ」の役割を脱せず、演算力不足を根本的に解消する切り札にはなり得ていないのが実情だ。

アリババ「通義千問」との性能格差

演算力の制約は、競合であるアリババ集団とのAI開発競争における劣勢を決定づけている。アリババはクラウド部門「阿里雲(アリババクラウド)」を通じて大規模言語模型「通義千問Tongyi Qianwen)」を積極的に展開。2024年5月には最新版「通義千問2.5」を発表し、主要な性能評価指標で米OpenAIの「GPT-4」に匹敵すると主張している。アリババは米国による規制強化を見越し、早期からエヌビディア製A100やH100の大量調達を進めていた。ブルームバーグが2023年8月に報じた内容では、アリババ、テンセントバイトダンス、百度(バイドゥ)の4社合計で、2024年納入分として約50億ドル規模のエヌビディア製半導体を発注したとされる。このうち、アリババが最も多くの割り当てを確保したとみられ、その潤沢な演算能力が「通義千問」の急速な性能向上を支えている。対照的にテンセントの「盤古大模型」は、金融や製造業など特定領域での応用を模索するものの、基盤となる汎用モデルの性能向上ペースでアリババに大きく水をあけられている。この差は、今後のクラウドサービス市場での顧客獲得競争において、テンセントの重荷となる可能性が高い。

盤古大模型、事業化の隘路

テンセントの生成AI基盤「盤古大模型(Pangu-Model)」は、事業化の面でも困難に直面している。同社は2023年9月の「グローバルデジタルエコシステムサミット」で盤古大模型を正式に発表し、これを自社のクラウドサービス「騰訊雲Tencent Cloud)」に統合。広告、金融、メディアなど50以上の業界向け解決策を提供するとした。しかし、その収益化は道半ばだ。テンセントの2023年第4四半期(10〜12月)決算によると、クラウド事業を含むフィンテック・ビジネスサービス部門の売上高は前年同期比15%増の543億元だったが、同社はこの成長が主にオフラインの消費回復と動画配信アカウントからの収入増によるものと説明しており、AIサービスが大きく貢献した形跡は見られない。AI事業の収益化には、顧客企業が大規模な導入に踏み切るための圧倒的な性能と費用対効果が求められるが、前述の演算力不足がその両方を阻害している。顧客はより高性能なアリババの「通義千問」や、あるいは国際的なサービスを選択する可能性があり、盤古大模型は自社サービス群の付加価値向上という内向きの役割に留まるリスクを抱える。テンセントの売上高の約3割を占めるゲーム事業も、開発効率化でAI活用が期待されるが、ここでも演算力の制約が足かせとなりかねない。

日本企業が直面する選択

テンセントが直面する演算力の制約は、対岸の火事ではない。米国の対中半導体規制は、世界の半導体供給網を再編し、日本の装置・材料メーカーに複雑な選択を迫っている。東京エレクトロンやSCREENホールディングスなどの製造装置メーカーは、米国の規制に準拠し、中国の特定工場向けの先端装置の輸出を停止した。経済産業省の貿易統計によれば、2023年の半導体製造装置の輸出額全体に占める中国向け比率は約4割に達しており、短期的には大きな打撃となる。一方で、中国国内では半導体の国産化に向けた巨額の投資が続いており、規制対象外である旧世代の成熟プロセス向け装置の需要はむしろ増加している。ディスコやアドバンテストといった後工程や検査装置の企業にとっては、新たな商機ともなりうる。また、EUV(極端紫外線)リソグラフィに不可欠なフォトレジストで世界市場を寡占するJSRや信越化学工業、東京応化工業は、米中双方の先端半導体開発の鍵を握る存在だ。テンセントのような中国巨大IT企業がAI開発で停滞することは、長期的には日本の技術エコシステムが接続する市場の成長鈍化を意味する。米国の規制と中国の国産化という二つの潮流の間で、日本の半導体関連企業は、技術的優位性を維持しつつ、地政学リスクを巧みに回避する経営判断をこれまで以上に求められている。