人民元の対ドル相場下落が、米国の先端半導体規制下にある中国ファウンドリー(半導体受託生産)の設備投資を、為替差益を通じて意図せず後押ししている。中国の半導体製造装置の輸入額は、世界的な市況調整にもかかわらず高水準で推移し、その多くが規制対象外の成熟工程向けに振り向けられている。2023年の中国の半導体製造装置輸入額は前年比14%増の約400億ドルに達した(中国税関総署調べ)。特に中芯国際集成電路製造(SMIC)や華虹半導体などが投資を拡大しており、この動きは東京エレクトロンなど日本の装置メーカーに短期的な恩恵をもたらす。しかしその一方で、世界的な成熟半導体の供給過剰リスクを高め、米中間の技術摩擦を金融・為替の領域にまで広げる新たな火種となりつつある。
為替が動かす設備投資の奔流
人民元相場の下落は、中国国内の半導体メーカーにとって、海外製製造装置の調達コストを実質的に押し下げる効果を持つ。半導体製造装置の国際取引は主にドル建てで行われるため、政府の補助金や国内で調達した人民元資金をドルに転換する際、元安は購買力を高める方向に作用する。例えば、1億ドルの装置購入に必要な資金は、1ドル=7.0元の時点では7億元だが、7.3元まで元安が進めば、同じ装置を約9,590万ドル相当の元資金で購入できる計算になる。この差額が、高額な設備投資の意思決定を後押しする一因となっている。
業界団体SEMIが2024年3月に公表した統計によれば、2023年の中国向け半導体製造装置の販売額は前年比29%増の366億ドルに達し、世界最大の市場であり続けている。この背景には、米国の輸出規制が本格化する前の駆け込み需要に加え、元安を追い風とした成熟工程向けの旺盛な投資がある。日本の財務省が発表した貿易統計でも、2023年の日本から中国への半導体製造装置の輸出額は前年比で約1割増加した。東京エレクトロンの2024年3月期決算では、中国向け売上高比率が47%に達し、前年の40%からさらに上昇。SCREENホールディングスも同様に中国向けが大きく伸びており、日本の装置メーカーにとって中国市場の存在感は無視できない水準にある。
なぜ中国は成熟工程に注力するのか
中国の半導体メーカーが投資を成熟工程に集中させるのは、米国の輸出規制が直接的な誘因である。2022年10月に米商務省産業安全保障局(BIS)が導入した規制は、ロジック半導体では14ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)世代以下、メモリー半導体では特定水準以上の先端技術に関わる米国製装置や技術の対中輸出を厳しく制限した。これにより、中国企業が極端紫外線(EUV)露光装置のような最先端の製造設備を導入する道は事実上閉ざされた。
その結果、有り余る国家補助金や国内資本は、規制の対象外である28nm以上の成熟・旧世代工程へと流れ込んでいる。これらの半導体は、スマートフォンやPCの頭脳部分には使われないものの、自動車の電力制御(パワー半導体)、産業機器のモーター駆動、家電製品のセンサーなど、現代社会を支える基盤として不可欠だ。台湾の調査会社トレンドフォースの2023年12月の予測では、中国の成熟工程(28nm以上)におけるウエハー生産能力の世界シェアは、2023年の31%から2027年には39%まで拡大する見通しだ。特にSMIC、華虹集団、合肥のネクチップなどが生産能力の増強を主導している。これは、先端技術で米国に追い付けないのであれば、まずは国内で必要とされる汎用半導体の自給率を高め、世界市場での価格決定力をも握ろうという国家戦略の表れと見られる。
装置輸入を巡る「抜け穴」と摩擦
中国による成熟工程向け装置の大量輸入は、米国の規制網に「抜け穴」が存在することを示唆し、新たな米中摩擦の火種となっている。オランダのASMLは、最先端のEUV露光装置の対中輸出をオランダ政府によって禁じられている。しかし、一世代前の技術である深紫外線(DUV)露光装置については、2023年まで輸出が継続されていた。ASMLの2023年通期決算によれば、中国向け売上高は全体の29%を占め、前年の14%から倍増した。特に2023年第3四半期には、2024年からのライセンス厳格化を見越した駆け込み需要で、中国向け比率が46%にまで跳ね上がった。
DUV露光装置は、液体にレンズを浸して解像度を高める液浸技術と、回路パターンを複数回に分けて描画するマルチパターニング技術を組み合わせることで、理論上は7nm世代の半導体まで製造可能とされる。実際にSMICは、既存のDUV装置を用いて7nm品を生産したと報じられている。これは、米国の規制が意図した「先端半導体の製造能力を封じ込める」という目的が、完全には達成されていない可能性を示している。これに対し米国は、ASML製のDUV装置の保守・修理サービスまで規制対象に含めるようオランダや日本に圧力を強めている。装置の安定稼働にはメーカーによる定期的な保守が不可欠であり、サービス停止は生産ラインの停止に直結する。為替を起点とする設備投資の動きが、地政学的な駆け引きをさらに複雑化させている構図だ。
日本が握る供給網の急所
一連の動きの中で、日本の素材・部品メーカーの戦略的な重要性が改めて浮き彫りになっている。半導体製造は、単一の高性能装置があれば完結するものではなく、シリコンウエハー、フォトレジスト(感光材)、高純度化学薬品、研磨剤(CMPスラリー)といった多種多様な材料が複雑に絡み合う供給網の上に成り立つ。これらの分野では、日本企業が世界的に高いシェアを維持している。
例えば、EUV露光に不可欠なフォトレジストでは、JSR、信越化学工業、東京応化工業、富士フイルムの日本企業4社で世界市場の約9割を握る。シリコンウエハーでも信越化学とSUMCOの2社で世界シェアの約6割を占める。2019年に日本政府が韓国向けに輸出管理を厳格化したフッ化水素やレジストは、半導体の製造歩留まりを左右する重要な材料だ。中国がいくらDUV装置を大量に導入しても、これらの高品質な日本製の材料がなければ、安定した量産は困難である。
現状、これらの材料は米国の輸出規制の直接的な対象品目には含まれていないものが多い。しかし、米中対立が先鋭化し、米国が供給網の「チョークポイント(急所)」をさらに締め上げようとすれば、日本政府に対してこれらの材料の対中輸出管理を強化するよう求める圧力が高まる可能性がある。日本の素材メーカーは、巨大な中国市場へのアクセスを維持しつつ、米国の安全保障上の要請にも応えなければならないという難しい舵取りを迫られている。為替の動きに端を発した中国の投資拡大は、巡り巡って日本の基盤技術の価値と、それが抱える地政学リスクを同時に浮き上がらせている。
日本企業が直面する選択
人民元を巡る国際金融の力学と、半導体を巡る地政学の衝突は、日本企業に多面的な影響を及ぼす。短期的には、中国の旺盛な設備投資は、東京エレクトロンやアドバンテスト、ディスコといった装置メーカーの収益を押し上げる。しかし、中長期的には二つの大きなリスクが顕在化する。一つは、中国で増強された成熟工程の生産能力が世界市場に溢れ、需給バランスを崩壊させる「価格破壊」のリスクだ。特に、日本や台湾のメーカーが得意としてきた車載用や産業用の汎用半導体市場で、激しい価格競争が引き起こされる可能性がある。経済産業省が2024年5月にまとめた報告書では、中国の半導体生産能力の拡大が、特定の品目において世界供給の50%を超える可能性について警鐘を鳴らしている。
もう一つのリスクは、米国の対中規制がさらに強化・拡大される可能性である。現在は対象外となっている成熟工程向けの装置や、日本の素材・部品にまで規制の網が広がれば、日本企業の事業戦略は根本的な見直しを迫られる。中国への売上依存度が高い企業ほど、その打撃は大きくなる。こうした状況下で、日本企業には生産拠点や販売先の多角化、いわゆる「チャイナ・プラスワン」の加速が改めて求められる。同時に、為替変動リスクや地政学リスクを織り込んだ精緻な経営判断が不可欠となる。人民元相場の動向は、もはや単なる貿易不均衡の問題ではなく、世界のハイテク産業の勢力図と日本の立ち位置を左右する重要な変数となった。その変動を注視し、先を見越した布石を打てるかどうかが、企業の競争力を決定づける。その意味で、為替は半導体供給網の未来を映す鏡と言えるだろう。
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