ドイツのショルツ首相が率いる大規模な経済使節団の訪中は、欧州の対中「デリスキング(リスク低減)」政策の現実的な限界を浮き彫りにした。表向きは経済協力の確認と国際問題の議論だが、その深層には電気自動車(EV)市場で主導権を奪われ、半導体供給網で米国の圧力にさらされるドイツ産業界の焦燥が渦巻く。ドイツ連邦統計庁の2023年統計によれば、独中間の貿易総額は2531億ユーロに達し、中国は8年連続でドイツ最大の貿易相手国であり続けている。この巨大な経済的相互依存関係が、安全保障上の懸念を凌駕する構造は変わらない。本稿では、EV、化学、半導体の3分野における独中関係の現状を分析し、日本企業が直面する地政学リスクと事業機会を読み解く。

EV市場、守勢に回るドイツ自動車産業

ドイツ自動車産業の中国市場における優位性は、急速に過去のものとなりつつある。中国汽車工業協会の2023年データによると、ドイツブランドの乗用車販売台数は前年比1.8%減の約447万台に留まり、市場占有率は19.2%まで低下した。対照的に、比亜迪BYD)をはじめとする中国ブランドは、国内市場の5割以上を占めるまでに成長。この地殻変動の主因は、EVへの移行の遅れと、ソフトウェア開発における競争力低下にある。特に車載OSやコネクテッドサービスにおいて、中国の新興企業が提供するユーザー体験にドイツ勢は追いつけていない。この劣勢を挽回するため、フォルクスワーゲン(VW)は2023年7月、中国の新興EVメーカー小鵬汽車(Xpeng)に約7億ドルを出資し、共同でEVを開発すると発表。アウディも上海汽車集団(SAIC)との協業を深める方針を示すなど、かつての「技術供与者」から「技術導入者」へと立場が逆転する事例が相次いでいる。これは、電池技術やAI制御といったEVの中核領域で、CATL寧徳時代新能源科技)や中国のソフトウェア企業が構築した生態系に依存せざるを得ない現実を物語っている。

なぜデカップリングは進まないのか?

ショルツ政権が掲げる「デリスキング」政策にもかかわらず、ドイツ企業の対中投資は高水準で推移している。ドイツ経済研究所(IW)が2024年3月に公表した報告書によれば、2023年のドイツ企業の対中直接投資額は過去最高の119億ユーロに達した。これは、ドイツのGDPに対する対中投資残高の比率が歴史的な水準にあることを示している。特に化学大手BASFが広東省湛江市に総額100億ユーロを投じて建設中のフェアブント(統合生産)拠点は、デカップリングの困難さを象徴する。この巨大プロジェクトは、原料から最終製品までを一貫生産することで効率を最大化するものであり、一度稼働すればサプライチェーンの移転は事実上不可能になる。メルケル前政権が推進した「Wandel durch Handel(貿易による変革)」という理念の下で深化しきった経済関係は、地政学的な緊張が高まっても容易には後戻りできない。シーメンスやメルクといった他の大手企業も中国での研究開発や生産拠点を拡大しており、巨大市場へのアクセスと、そこで得られる技術革新のスピードを放棄する選択肢は経営判断として成り立ちにくいのが実情である。

半導体、独が握る「見えざる」基盤技術

米中技術摩擦の最前線である半導体分野において、ドイツは最終製品ではなく、製造装置や素材といった川上領域で決定的な役割を担っている。オランダASMLが独占するEUV(極端紫外線)露光装置を例に取ると、その心臓部である超高精度な光学ミラーシステムは、ドイツの光学機器大手カール・ツァイスが世界で唯一供給している。このミラーは、原子数十個分の凹凸しかない極めて平滑な表面を持ち、13.5ナノメートルのEUV光を99%以上の効率で反射させる物理的性能が求められる。また、EUV光を生成する強力なレーザー光源は、同じくドイツのトルンプ社が開発・供給している。つまり、ASMLの装置一台一台に、ドイツの最高水準の技術が組み込まれている形だ。米国による対中半導体製造装置の輸出規制は、ASMLだけでなく、ツァイスやトルンプにも直接的な影響を及ぼす。一方で、インフィニオンテクノロジーズは車載用パワー半導体やマイクロコントローラー(MCU)で世界的なシェアを誇り、その製品は中国で生産される多数のEVに搭載されている。インフィニオンの2023年度の売上高のうち、中国市場が占める割合は32%に上る。このように、ドイツは先端半導体製造を支える基盤技術と、中国の巨大な応用市場との間で、複雑な板挟み状態にある。

日独協力で探るサプライチェーンの活路

ドイツが直面するジレンマは、日本の産業界にとっても他人事ではない。特に半導体サプライチェーンにおいて、日独両国は相互補完的な関係にある。ドイツが光学系や特殊レーザーといった「物理的な極限技術」に強みを持つ一方、日本はフォトレジスト(EUV用ではJSR、信越化学工業、東京応化工業などが世界市場の約9割を占有)、シリコンウエハー(信越化学とSUMCOで世界シェア約6割)、各種製造装置(東京エレクトロン、SCREEN、ディスコなど)で高い競争力を持つ。2022年に発効した日独物品役務相互提供協定(ACSA)は安全保障面での協力が主眼だが、経済安全保障の文脈でも両国の連携は不可欠だ。例えば、次世代パワー半導体であるSiC(炭化ケイ素)やGaN(窒化ガリウム)の材料開発、生産プロセスにおいて、インフィニオンやボッシュと、日本の材料メーカーや装置メーカーが連携を深める余地は大きい。TrendForceの2023年調査によると、SiCパワー半導体市場は2026年までに53億ドル規模に成長すると予測されており、この成長市場で日独が連携して標準を形成できれば、特定国への依存を低減し、サプライチェーンの強靭化に繋がる可能性がある。独中関係の現実を直視しつつ、価値観を共有するパートナーとの連携を多層的に構築することが、今後の国際競争を勝ち抜く鍵となる。

日本企業が直面する選択

今回の独中首脳会談が日本企業に突きつけるのは、経済合理性と地政学リスクの狭間で、いかに自社の立ち位置を定めるかという根源的な問いである。ドイツが示すように、中国市場からの完全な撤退は非現実的だ。しかし、メルケル時代のような楽観的な関与もまた、もはや許されない。求められるのは、「チャイナ・プラスワン」といった単純な生産拠点の分散に留まらない、より高度な戦略である。具体的には、①研究開発機能の再配置、②データ管理と知的財産権保護の徹底、③サプライチェーンの複数国間での冗長化、という3つの視点が重要になる。特に、技術の核心部分や顧客データに関わる機能は、地政学的に安定した国内や同盟国に置く「技術的聖域」の発想が必要だ。半導体製造装置大手の東京エレクトロンは、米国の輸出規制に対応するため、法務・コンプライアンス体制を強化し、仕向地ごとの厳格な管理を行っている。また、素材メーカーの中には、中国国内向けには汎用品を供給し、先端品は日本国内で生産・輸出するという「技術階層別戦略」を取る企業も現れている。ドイツの苦悩は、日本の未来図でもある。中国という巨大な重力圏と向き合いながら、いかに自律性と競争力を維持していくか。その答えは、個々の企業の不断の自己変革と、政府による長期的視点に立った経済安全保障政策の連携の中にしか見いだせないだろう。